2016/02/03

かつて見たあの地へ

一瞬、何が起こったのかわからなかった。
ちゃんと軒下をくぐったと思い、頭を上げた瞬間に訪れた不意の衝撃。
一呼吸おいてから来る激痛に、ようやく私が何かに頭をぶつけたのだと理解が追いつき、苦痛に顔が歪む。
よほど凄まじい音がしたのか、それとも私の苦痛に歪む顔がよほど痛そうに見えたのか、ホストファミリーの面々が心配そうに頭のコブを触ってくる。

や、大丈夫、大丈夫ですから、そんなに心配しないで、すっげぇ痛かったけど。

私が頭をぶつけたのは、マネアバと呼ばれる集会所のようなものの屋根の縁だ。
マネアバとは各一族に一つずつほど存在する広場のようなもので、何か催しごとがあるたびにそこでパーティを開いたりする。
そして、このマネアバというものは、意図的に屋根が低く作られている。
その高さは、身長167cmの私ですら少しかがまなければ中に入れないほど低い。
なぜそんなに低く作られているのか?
理由は、入る際に必ず頭を下げなければ入れないようにするためだ。
ある種、神聖な場所ともされている。
ボクサーがリングに上がる際に一礼をささげるように、空手家が試合場へ上がる際に一礼をささげるように、マネアバに入る際にその場所そのもの、もしくは代々受け継がれているということなどに対して敬意を表する。
きっとそういう意味が込められているのだろう。
現地人でも、良く頭をぶつけるらしい。
ちなみに私は初日のうちに二回ぶつけました。

まねあば


さて、そんな波乱の幕開けとなったキリバスにおけるホームステイは、とても有意義な話の連続であった。
基本的にはこれでもかというくらいおもてなしをしてもらえたのだが、中でもホストファミリーのご主人とかなり長い時間話をさせてもらうことが出来た。
私がお世話になったファミリーの構成は、その家族だけで考えれば5人。
主人、奥さん、女子学生が3人の5人家族だ。
この家族を一言で表すなら「スマート」に尽きる。
主人をはじめとして、皆聡明な人達ばかりだ。
主人は現在50過ぎで、既に定年退職されている(キリバス国における定年は50とかそこらへんらしい)。
退職前の職業は携帯電話会社のテクニカルエンジニアだ。
しかし、ただエンジニアといっても、彼は本当に色々なことに思考を巡らせている。
世界情勢、宗教、最新技術、キリバスの行く末などなど。
週に一度、土曜日に教会で開かれているという宗教などに関する討論集会にも連れて行ってもらった。
なお、ここキリバスにおける宗教はキリスト教でプロテスタントとクリスチャンが半々ほど。
プロテスタントが金曜日に礼拝をするということで、集会の前日にも礼拝を見に連れて行ってもらっている。
礼拝の途中、参加者がチラチラとこちらを見てくるのが気になっていたら、牧師さんが私のことを紹介していたらしい。
「He said about you.」
「Me?!」
軽くびびる私。

さて、土曜の集会に集まったのは、老若男女併せて20名ほど。
一つ一つのコミュニティ自体がそこまで大きくないことを考えると中々の参加率である。
国の大きさが違えど、その中でも考える人は色々と考えている。
残念ながらキリバス語が堪能でない私はその集会を見るだけで終わってしまったが、いずれ英語ででもなんかしら意見の一つくらいは言えるようになりたいものである。

さて、それ以外に関しては割りとのんびりさせてもらっていた1日目と2日目だが、3日目に更なるイベントが待ち受けているとは知る由もなかった。

そのイベントとは、なんとピクニック。

え、ここの人らピクニックなんてすんの?と思っていたら、なんと里帰りなのだという。
いやいや、里帰りにポッと出の異界人連れて行って良いのか?!
後から考えると、とても凄まじい経験をしていたのだと実感する。
でも、ホストファミリーの娘さんの友人さんとかも一緒に来ていたみたいだし、まあ良いのだろうか・・・。

行き先はノースタラワ。ホストファミリーの奥さんの親戚がそのあたりなのだという。
トランスポーター(軽トラ)をチャーターし、家族とその一族、友人たちを丸ごと乗っけていく。
トラックの荷台に15人くらい乗っかってます。皆言い笑顔。私も良い笑顔をするようになったもんだ


そして実際にその地へ行ってみると、驚きの光景が広がっていた。

去年の暮れ、2015年12月ごろに放映されたテレビの中に、世界の絶景にある家という名目でこのキリバスの家が紹介されたことがある。
その家はまさに海の上に存在する家で、伝統的な作りが今に生きるものだ。
その家の一つに、なんと今回案内してもらうことができた(いくつか家が建っていたので、案内してもらった家がテレビで紹介されたものであるかは定かではない)。
案内してくれたのはホストファミリーの娘さんの一人。
きりっとした目が主人に似た、とても綺麗な娘だ。
その家の家長である大婆様が、なんとその娘の叔母に当たるという。
いや、どう見ても3,40歳は離れてるけど君ら。
んで、叔母って言うことは奥さんのお姉さんにでもあたるのだろうか。
その大婆様が、一枚の写真を取り出して見せてくれた。
そこには、大婆様と並んで写っている日本人と思われる人達の姿が。
案内してくれた娘さん曰く、日本のテレビクルーだというが、まさかな・・・。
え、これ入って良いの?ホントに良いの?!

潮が満ちるとここら辺まで波がきます


また、その大婆様とは別の、奥さんのご兄弟の方にも住居周辺を案内してもらう。
周囲には伝統的なココナッツの木で作られた家々が立ち並ぶ。
その中の一つに小学校があったのだが、なんとそれすら伝統作りのものだ。
すげえ、ホントにPrimary Schoolって書いてある


そこにいる子供たちは元気いっぱいだ。
歩いていると幼稚園から小学校低学年くらいの子供たちが物珍しそうな感じで後を付いてくる。
ちなみに私が集落を訪れた日は冬休みの最終日なので、子供たちも外で遊んでいた。
中には抱きついてくる子供すら居たのが、君ら少しは異界人に警戒心持とうよ。
その子供たちを見ていると、この国が世界の中でも最も貧しいとされている国の一つであるということを忘れてしまう。
この国には、少なくとも子供たちには笑顔が溢れている。
ただの一人として、貧困にあえぐ人の姿を見たことがない。
しかし、一見綺麗に見える水の中にも細菌が潜んでいることがあるように、目に見えない深刻な問題は潜んでいるものだ。
これに関してはほぼ確実に後述することになるだろうが、改めて、国が違えば国際協力のあり方も変わってくるのだと実感させられる。

壁ない

絨毯も伝統的な作りのものです。これはココナッツの葉で作られたものではないようです


あらかた近所を回り終えると食事の時間だ。
これもやはり伝統的なスタイルの食事が出てきたのだが、一つ違うのは輸入物の鶏肉が出てきたということ。
しかも、これの調理方法は完全にバーベキューだ。
ただ燃料はココナッツの繊維とか、引っぺがした葉っぱとかです。
しかし、食卓の大きさを見ると、明らかにその人数を収容できる大きさではない。
見ると、若い面々は別のところに集まってワイワイと話をしたりしているようだった。
要は、時間差で食事をするということなのだろう。
先に食事をするのは家長や年齢の高い人達、そしてゲストだ。
私よりもふた周りは上であると思われる方々と一緒に食事をすることになる。
ただ、その際に家長が代表して祈りをささげた。
「Thank you God for the food, the name of Jesus, Amen」(最短縮形、実際はもっと長い)
ここにもキリスト教という宗教が色濃く影響しているといえる。

いやこれマジ全部美味しかったからホント


私といえば、祈りが終わって皆が食べ始めるのをよそに「頂きます」をする。
その日本式の挨拶が気になったのか、今のは何だと皆から聞かれたので、皆に「いただきます」、「ごちそうさまでした」と、その意味を教える。
彼らに教えたそれらの意味はもちろん、「食べ物、それを作る人、それを育む大地、気候、全てのものへの感謝」だ。
中にはなんと少し日本語を覚えていらっしゃる方も居たようで、「アリガトウ!」と連呼していた。
それだけのことで、なんとなく嬉しくなってしまう。
そう、やはりコミュニケーションの基本は現地語なのだ。
きっと、彼らも同じなのだ。
我々が現地語を使えば、彼らも「お、こいつはちょっと他の国のやつらとは違うぞ?」と喜んでくれる。
そうやって、少しでも心を開いてくれるのであれば、私は喜んで現地語を覚えよう。
コ ラパ(ありがとう)。

外を見ると、まさにテレビで見たような光景が広がっている。
そのテレビを見たとき一言「俺は、こんなところへ行くのか・・・」と漏らしていた。
その、かつて見たあの地へ、私は今立っている。
それだけのことで、なんだか不思議な感覚に襲われる。
この感覚に名前をつけるとしたら、どんな名前になるのだろう。「感慨」?「哀愁」?


そんなこんなで、私の3日間はあっという間に過ぎ去っていった。

4日目の朝、迎えが来て、別れ際に主人が私に言う。
「また来てくれ、我々はいつでもお前を待っている」

父さん、母さん、兄さん、日本から遠く離れた地に家族が出来ました。

PS: 折り紙は特にお花がとても喜ばれます。
例えばこんなの


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