2016/02/29

Simple is best

私が日本でSEをやっていたときは、とても沢山の失敗をしてきたものだ。
それこそ酷いプログラムは量産してきたし、それによって色んな人達に多大な迷惑をかけてきた。
中には今でも絶賛稼働中のものがあるかもしれない。

とある漫画の中で、とても優秀な外科医がこのような言葉を残している。

外科医は、死なせた患者の数だけ成長する

当然、医療の世界で死なせていい患者など一人として居るわけは無い。
上記の言葉を残したキャラは、この点に関しても言及している。

ならば、私はどうだろう。
量産してきたクソコードの数々。
バグは当たり前、ソースは読みづらい、汎用性も低く、ドキュメントとの整合性も取れているかどうかわからない。
そもそもドキュメントの日本語すら、なんかちょっと怪しい。

しかしそんな私でも、1年前に自分が書いたコードを見たときにいつも思うのは、
「1年前の自分を殴りたい」
だ。

よくもまあ、こんなクソみたいな仕事ができたな、と。
つまり、成果物を作ったときに感じた反省点や経験はしっかりと身についているということなのだろう。

ITエンジニアは、書いてきたクソコードの数だけ成長する

それもまた事実だ、ということだ。

さて、そんな私がキリバスの保健医療サービス省という省庁に勤め始めてそろそろ1ヶ月が経過しようとしている。
正確には少し短いが、今日で2月も終わりなので、切りよくひと月経過ということでひとつよろしく。
少し前回のエントリーから期間が開いてしまったのにはちょっとした理由があるのだが、まあPC関係のトラブルがまた少しだけあったというのと、気持ちの問題だ。

そうそう、なぜかはわからないが、壊れたと思っていた私のノートPCがなぜか復活したのだ。
壊れた理由がわからなければ復活した理由もわからない。
少なくとも、アダプタは壊れていなかったらしい。
事が起こったのは一昨日の夕方、何もすることが無くて気まぐれにノートPCの裏蓋を開けてみていたときのことである。
バッテリーを装着したままにしていた状態だったのが功を奏したのか、ふとした瞬間に電源ボタンを押してしまった時に、急にPCが起動し始めたのだ。
頭の中で「!」マークと「?」マークが連呼し、あたふたしている間にwindowsが立ち上がる。
全く意味がわからない。

結果として、現在職場にこのPCを持ち込んで仕事をすることが出来ている。
現状考えているのは、マザーボード関係の接触不良だ。
ということは、またいつこのPCが動かなくなるかわからないということだ。
まあ、別にこのPCが無い間も普通に仕事は出来ていたので問題はないのだが、ブログを書くモチベーションという点でこのPCはあった方がいいなー、と思う。
なぜかというと、職場のパソコンは直近で再度OSを再インストールして以来、英語のまま使用しているので、日本語対応をするのが面倒くさいからだ。
すなわち、また私のノートPCが壊れてしまったら、そこから先はこのブログも英語で書かざるを得なくなる。

書くぜぇ~、超英語書くぜぇ~。


話がずれてしまった、仕事の話をしようとしてたのだ。

といっても、現状私がやっている仕事にプログラム関係の仕事はほとんど無い。
ハードウェアの管理やDBのメンテナンスなど、私がこれまで余り触れてこなかった分野の仕事がほとんどだ。
なぜ私がこれをやるかというと、他に誰もやる人が居ないためである。
いや、できる人が居ない、といった方が正確か。

ただ私が今管理しているシステムは色々な方面からかなり広く認められているようで、世界銀行(WB)や世界保健機関(WHO)から訪問される方々もこのシステムのことを知っていたりする。
このシステムから得られるデータを元にして、統計速報も作成していると思われる(他に統計情報を収集できる仕組みがあるとは思えないため)。
つまり、このシステムは既にこの国にとって無くてはならないものになっていると言っても過言ではない。
私の前任に当たる方は、私に「もしあなたがこのシステムが必要ないと判断したのなら、このシステムを使わないという判断も有りだと思います」と引継ぎ資料を締めくくっていたが、とんでもない。


私の歴代の前任に当たる人達が、このシステムを作り上げた。
前々任者がシステムをイチから作り上げ、スタートアップさせた。
前任者がシステムをアップグレードし、成長軌道へ乗せた。

しかし残念ながら、これを管理する体制は整っているとは言い難いどころか、ゼロに近い。
となると、現在私が抱えている課題はまず明確だ。
それは「システム管理体制の確立」と、「システムを安定軌道へ乗せる事」である。
そのためにまず必要なのは、運用マニュアルの作成と管理要因の確保である。

さて、「運用マニュアルの作成」や「管理要因の確保」と簡単に述べたが、これを実際にやるとなると事はそう単純ではない。
なぜかというと、「日本流のやりかたをそのまま現地に持ってくるわけにはいかない」からだ。

青年海外協力隊の使命の一つに、現地の「自助努力の活性化」がある(呼び方とかは違ったかも知れない)。
すなわち、現地人が現地人の力だけで出来ることを出来るようにする、というものだ。
それは必ず持続可能なものでなければならず、現地人が途中で飽きて放り出してしまうようなものであってはならない。
過去の隊員の中にも、独りよがりの自助努力を現地に押し付け、失敗してきたケースが数多くあったと聞いている。

特に、キリバス人は「面倒くさがり」であると言われている。
キリバス人自身がそう自覚しているかは定かではないが、我々日本人からしてみたら物凄く面倒くさがりなのだそうだ。
私はまだ任地へ来てふた月ほどなのでそこまで感じることは無いが、確かにレストランで出てくる食事の味付けは皆大雑把な味付けの物が多く、簡単に作れるような物ばかりだ(美味しいものは美味しいのだが)。

さて、この「面倒くさがり」という点を管理体制に組み込むとなると、どういう可能性を考慮しなければならないか、である。

例えば、引継ぎが満足になされない。
例えば、マニュアル自体を紛失してしまう。
例えば、サーバーが壊れたら壊れっぱなしにしてしまう。

これらをいかに管理するか、管理できるような体制を作るか。
否、「管理しやすい」体制を作ることが肝要なのだろう。

何事においてもそうだと思うのだが、「手軽で簡単便利でお得」が全て満たされたコンテンツは最強だと思う。
つまりは「ちょうど良い」ということだ。
つまりは広く人々に浸透し、長く愛されるということだ。

故スティーブ・ジョブズの残した言葉にこんなものがある。

最も重要な決定とは、何をするかではなく、何をしないかを決めることだ。

この言葉を、私はこう読み替えている。

システムに重要なのは、何を作るかではなく、何をつくらないかだ。 

複雑は仕組みは決して長続きはしない。

ITエンジニアとしてクソコードを書き続けてきた私が、彼の残した言葉の中で最も共感できる言葉だ。


果たして、キリバス人にとっての「手軽で簡単便利でお得」は一体どこにあるのだろうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿