2016/07/20

公正と平等

ここ暫くエントリーに期間が開いたのには、まあいくつか理由がある。
一つは英語の学習に関連している。
もう一つは、単純にブログへのモチベーションの問題だ。

私がこの国に来た理由の一つに「英語の習得」がある。
もちろんそれだけが理由ではないが、それ「も」理由の一つである。
であるならば、日本語に触れるような機会は可能な限り減らすべきである、という考えに至ったのだ。
初めは迷った。
ブログに書きたいことは山ほどある。
書こうと思えばいくらだって書ける。
しかし、例えば週1でエントリーをしようとすると、少なくとも1週間に1回は日本語で文章を考える時間が生まれてしまう。
しかも、一つエントリーを書こうとすると、どうしたって数時間は必要になるのだ。
そうすることで、英語に触れ続けた期間がリセットされてしまうのではないかと思った。

さて、そんなこんなで初めてみたノーブログ生活であるが、結局たどり着いた結論は、私は「日本が好き」で「日本語が好き」であるという事だ。
昔から国語は大の苦手教科で、小中高を通して国語の成績は「3」を超えたことがない。
私の両親はお願いだから私の過去の通信簿を引っ張り出すようなことはしないでくださいお願いしますなんでもしますから。

いや、してもいいけどさ・・・。

まあそんな私が、よくもこんなセリフをぬけぬけとぬかせるようになったものである。
やろうと思えば日本語を完全にシャットアウトすることだってできたはずの私は、気が付けば日本語を使ってしまっている。
ただそんな私でも、本当に徐々にではあるが、英語は上達してきてはいるようだった。
これまであまり円滑でなかった意思疎通が、円滑でないなりに少しヤスリがかけられ、表面の凸凹が少なくなってきたように感じる。

だから、なんというか、もう我慢しない、そう思うに至ったのだ。
英語の勉強は、もちろんする。
でも、日本語だって使う。
それで良いじゃないか。

ようやく半年、まだ半年。
これからあと1年半あるのだが、果たしてどれだけ英語は上達するか・・・。
未だにオーストラリア人同士がペチャクチャ喋っているのは全く聞き取れません。


さて話は変わるが、我々青年海外協力隊員にとって、赴任してから半年というのは一つの節目となる。
この時期に、それから後の1年半の活動計画の策定と提出を求められるのだ。
ちなみに、青年海外協力隊員には、義務として5回の報告書提出が求められている。
1回目は任国に到着してから3か月。
そして2回目が、任国に到着してから半年だ。
この報告書であるが、書く内容はそれぞれの回ごとにざっくりと決められており、今後の活動を左右することにもなる第2回報告書へは、前述した「今後の活動計画」なるものの記載を求められる。
要は、「残りの1年半なにすんの?」という事だ。


私は、このキリバスに着任してすぐ思ったのは、「あれ、まあ割と普通にシステム動いてんじゃん」ということだった。
当然それは偉大なる前任者達の功績なのであるが、「正直やることがない」とすら思った。
それでも、システムの内部を紐解くにつれて、次第に露わになっていく綻び。
それとは別に、ポロポロと上がってくる改善要望。
そんなこんなもあって、この半年で修正したプログラムの数は、ファイル数だけで120を超えた。
今後もこのペースで改修作業を続ければ、かなりの作業量となるはずである。
しかしそんなことは問題ではない。
私は本来、ここにただの作業員として来ているわけではないからだ。

本当ならば私の技術を伝えるべき現地技術者が別におり、その人へ指導をするのが私の最大の使命だったはずなのだ。
ところがフタを開けてみれば、最低限の技術を持つ人員すらチームにはおらず、新たにそのような人員がチームにアサインされる気配すらないときたものだ。
よくある事とはいえ、結果として私も作業員として活動しないわけにはいかなくなってしまった。
まあ、作業員としての活動は要請にもあったし、別に良いんだけどね。

さて、そんな今の私の状況であるが、今後の活動方針を考えるうえでポイントとなるのは、やはり「現地人が何を目標として動いているか」である。
現地人の現地人による現地人のための青年海外協力隊の活動である以上、現地人が目標を持っていればそれを無視して活動計画を立てるのは、もはや独りよがりの戯言に過ぎない。
運よく、私の勤める省「Ministry of Health and Medical Service(保健医療サービス省)」には、「Health Strategic Plan」なるものが存在しており、省をあげて国民の健康改善に取り組んでいる。

今回は、その計画の大目標を見てみることにする。

2012年から継続して実施されているこの健康戦略プランであるが、2015年までを区切りとして2016年から新たな計画がスタートしている。
と言っても、内容はそれまでの計画の焼き増しで、これまでやってきたことを少し改良して継続実施する、というものだ。
そこで掲げられている大目標は以下の通り。

To improve population health and health equity through continuous improvement in the quality and responsiveness of health services, and by making the most effective and efficient use of available resources

訳すと

保健サービスの品質と応答性の継続的改善と、有効な資源の最も効率的・効果的な利用の実現を通し、公衆衛生と保健公正を改善すること

となる。

ちなみに、Google先生を使ってもちゃらんぽらんな訳しかしてくれないので、幾分意訳が混じっている。
うん、なんとなく意味は分かる。
しかし困ったのが、「保健公正」ってなんなんだ?
平等に、広く医療サービスが国民全体に行きわたる事、みたいな意味で合ってるのか?
いやいや、ここで曖昧な理解は後に色々と軋轢を生むことになりかねん、という事で、調べてみました、「Health equity」。

ところが、この「Health equity」、日本語として適切な単語が存在するわけではないらしく、明確な定義も全く出てこない。
しょうがなく、英語のWikipediaに定義が載っていたので、これを参考にすることとした。
https://en.wikipedia.org/wiki/Health_equity
そしてその中の記載によると、かなり面倒くさいことにこれ以外にも「Health equality」なる言葉が存在し、両者でどうやら意味が異なるらしい。

Health equity
Health equality

クッソ似てる。2文字しか違わねえ。

もう同じで良いじゃねえか。

日本語に訳せば、どちらも「保健公正」とか「保健平等」とか、なんとなく似たような意味になるだろう。
しかし、厳密にはその意味するところには違いがあるそうだ。

Wikipedia先生によると、

Health equity is different from health equality, as it refers only to the absence of disparities in controllable or remediable aspects of health.

訳すと

「保健公正」は「制御可能か、救済可能かという側面の保健に格差がない」という意味をもってのみ、「保健平等」とは異なる。

ハァ☆、ごめん、ちょっとわかんない。

ただ、わかりやすい例が後述されていたので、その例をかいつまんで説明する。

例えば、とある国民の平均年齢が著しく低い。
その原因は、国内の医療サービスへのアクセス手段が著しく欠落しているためであったとする。
となると、国民全員に等しく医療サービスが行き届かない訳なので、そこに「不平等」は存在しない。
著しく低い水準でありはすれど、それは平等なのである。

しかし、それは社会的に見れば当然、社会問題として指摘されうるべきものであるのは明白だ。
そういう意味でこの例では、保健の状況は「平等」だが「不公正」、「Equality」だが「Equity」ではない、ということである。

ちなみに、「不平等」であれば「公正」であることは有り得ない(と「Health Equity」の定義上はなっていると思われる)ので、ここにおいてのみ、equityはequalityを内包する単語として定義されることになる。


いやちょっと待て、その例でいうと、お金持ちならいくら医療サービスへのアクセスが悪かったって何かしらの方法で良い医療を受けることができるんじゃないか!?

と思った方、良いご指摘です。

しかし、それも「国外まで医療サービスを受けに行けば」の話である。
国内にいる限りサービスを満足に受けることができないのであれば、やはりそこに「不平等」があるとは言い難いのだ。

キリバスという国に目を向けてみよう。

この国は、残念ながら医療の質が高いとは決して言えない。
医療機器のみを見てみても、国内には1台たりともMRIすら存在しない。
そもそもそんな精密機械があったところで、電圧の不安定さですぐ壊れるだろうし、そもそも使いこなせる人がいない。
もしそれらのような高度な医療機器を使用する必要がある病気に罹った場合、もしくは怪我を負った場合、フィジー、オーストラリア、ニュージーランドなどで治療を受ける必要があるか、もしくは死ぬかしかない。
当然お金があれば、国外で治療を受けることも可能であろう。
しかし、そこで発生しうる不平等さは「経済格差」として取り扱われるべき問題である。

問題は、たとえお金があろうが無かろうが、「国内では」皆一様に低い水準の医療しか受けられないというところにある。
そして大目標に話を戻せば、キリバス政府はその状況に気が付き、その状況へNOを突き付け、その状況を改善する意志を見せている、ということだ。
上述した例だけではなく、保健公正という点から見て他にも様々な問題が、このキリバスにはあるのだろう。
本当に公正な国民の健康を実現するには、乗り越えない壁の数が多く、そして大きすぎる。
できることからやれば良いが、逆に、できることしかできないのだ。
つまりは、本当の意味で草の根からの活動となる。

草の根活動と言えば、我々青年海外協力隊の十八番である。
現に、我らがキリバス隊員のうち、医療隊員の有志が集って行っている「サンダルプロジェクト」なる企画は、開始から1年を過ぎ、試行錯誤を重ねながらもその活動は徐々に軌道に乗っている。
この企画は現地の新聞にも取り上げられたことがあるほど、意味のあるプロジェクトであると同時に、まさに草の根からの活動であるといえる。

こちらに関しては、また後日触れさせて頂こう。

さて、私にとっての「草の根」は、いったいどこにあるのだろうか。

キリバスへ来て、ようやく半年。
先進国の常識に漬かりきっていたIT技術者の迷走は続くのであった。

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