2016/08/12

激戦タラワ環礁その4

アメリカ軍艦隊指揮官レイモンド・スプルーアンス中将は焦っていた。

タラワ島攻略にかけられる時間は、長く見積もって3日。
それ以上引き延ばせば、確実に日本海軍の増援艦隊がやってくる。

現に、戦闘初日である11月21日にミクロネシアのポンペイ島にいた陸軍甲支隊が、タラワ島襲撃の知らせを受けて邀撃部隊を編成し、出撃している。

その編成は

・輸送艦隊
軽巡3隻(那珂、五十鈴、長良)
駆逐艦2隻(雷、響)
輸送船2隻

・護衛艦隊
重巡4隻(鳥海、鈴谷、熊野、筑摩)
軽巡1隻(能代)
駆逐艦5隻(早波、藤波、初月、野分、舞風)


という、そうそうたるメンツだ。
これらともし会敵し戦闘をするとなれば、アメリカ軍側としても確実にただでは済まない。
可能な限り速やかに適地を奪取し、ベシオ島の自軍拠点化を進める必要があった。
初日の無茶な行軍は、その焦りが原因の一端であることは疑いようもないだろう。
結果として疲弊、摩耗し尽くしてしまったアメリカ軍海兵隊たちは、占領した拠点の砂浜に物資もなおざりに放置した状態で、皆砂浜に眠りこけてしまっていた。

そんなアメリカ軍とは対照的に、日本軍の兵士たちはあくまで狡猾だった。
狡猾であり、悪魔的であり、大胆不敵であった。

1943年11月22日、タラワ島の戦いが開始して二日目、日付が変わるか変わらないかくらいの、未だ宵闇が海を覆いつくしている時間、日本兵は密かに、しかし大胆に行動を開始する。
敵の情報が少なかったためか、電話回線が切られ司令塔も失っていたためかはわからないが、そこで実行されようとしていたのは、アメリカ軍への夜襲ではない。
その実、もっと効果的で、アメリカ軍にとっては悪夢のような作戦である。


日本兵は、まずRed Beachの海岸付近に打ち捨てられていた水陸両用トラクターに目を付けた。
打ち捨てられたトラクターは1日目の揚陸作戦において、アメリカ軍側の海兵隊が使用したものである。
車体のいたるところに日本兵が放った機銃の銃痕や、大砲による損傷が見受けられる。
しかしその中でもまだまともに動きそうなものに目を付け、あろうことかアメリカ軍の目を盗み、そのトラクターを奪取したのである。
もはや陸は走れないとしても、まだ海上は進める。
日本兵の目論見は、見事に当たった。

日本兵が向かった先は、浜辺から600mほど離れたところで座礁していた、輸送船「斉田丸」。
日本軍がタラワ島へ来る際、様々な物資を運び続けてきた船である。
トラクターに荷物を載せて斉田丸へ到着した日本兵は、あくまで静かに、作戦を続けた。
もし動きがバレれば、敵はすぐそこにいる。
古くは、現在のベシオ港には日本軍が使用していた波止場が存在していた。
その波止場を使用して、輸送船からの物資を陸へ運び入れていたと思われる。

結果として、アメリカ軍側には全く察知されることなく、斉田丸への配置が済んだ日本兵たちは、はやる気持ちを抑え、日の出を今か今かと待ち続けた。

午前6時、日が上ってすぐ、アメリカ軍が行動を開始する。
既に上陸を済ませている海兵隊への増援のため、揚陸部隊が前日と同じようにRed Beach側から進軍を開始した。
沖から海岸まで数百mはあろうかという浅瀬を、やはり前日のようにゆっくりと行進していく。

陸からは、前日と同じように攻撃が加えられるが、1日目ほどの激しさはない。
これは、いける!アメリカ軍海兵隊は勢いづいた。

言ったそばからまた油断。
馬鹿は死ななきゃ治らない。

斉田丸から、無数の機銃の砲身が突如として姿を現した。

行進を続けるアメリカ軍兵に、斜め後ろから雨のような機銃掃射が降りそそぐ。

予想を遥かに上回る日本兵の行動に、アメリカ軍は驚愕した。
当然、機銃掃射自体は恐ろしい。
それ自体が、すでにアメリカ軍に与える損害はとてつもないものになっている。

しかし、より恐ろしいのは、その覚悟だ。

斉田丸という、座礁して既に活動を停止した、海のど真ん中の標的とも言える建造物から攻撃をすれば、逆に敵の攻撃の的になってしまうことは必然の理。
その、攻撃の的になってしまうという恐怖を乗り越え、彼らは今、あそこから機銃掃射を続けている。

死を覚悟した特攻。

古今東西、どの戦においても、どんな敵が一番恐ろしいかと聞かれた場合、こう答える人が多いと思う。
「死を恐れない敵」

日本兵のほぼ全てが鬼人、修羅であるかのように、アメリカ軍の目には映ったはずである。
やらねば、やられる。
もはやアメリカ軍側に、手心を加えるなどという生易しい余裕は消え失せてしまっていた。

斉田丸から浴びせられる銃弾は後を絶たない。
結局アメリカ軍は増援部隊の上陸をいったん諦め、斉田丸をどうにかして沈黙させることにした。
しかし、艦隊のどの艦も、19日から行っている砲艦射撃により、残弾がほとんど残っていない状況である。

仕方なく、アメリカ軍は艦載機による攻撃を仕掛けるため、空母からF6F戦闘機を4機出撃させ、斉田丸へ機銃掃射を試みた。
当たり所が悪かったためか、残念ながら日本兵のほとんどがその機銃掃射を逃れ、船の上で変わらず機銃を打ち続ける。

次にやってきたF6F戦闘機は3機で、3機とも小型の爆弾を抱えていた。
次々に斉田丸へ投下される爆弾。
しかし、3発の爆弾のうち、2発が至近弾に終わり、直撃弾となった1発も、残念ながら機銃設置場所から離れた箇所への着弾となり、決定的なダメージとはならなかった。

最終的に12機のF6F戦闘機が爆弾を抱えて空母から出撃する。

次々に投下される爆弾。

しかし、斉田丸へは、有効な打撃を与えることができずに終わってしまう。
その間も、変わらず続けられる、斉田丸からの機銃攻撃。

しぶとい、あまりにもしぶとすぎる。

もういいだろう、なんでそこまで頑張るんだ?!

何が、そこまでお前らを戦いに駆り立てるというのだ?!

ここに来てようやく、アメリカ軍は艦載機による攻撃で斉田丸を沈黙させることを諦める。
そして代わりとして、海兵隊屈指の工作員にその命運が託された。

作戦はこうだ。

斉田丸に乗った日本兵に気付かれることなく、斉田丸へ接近する。
当時最新型の高性能爆薬を仕掛ける。
斉田丸を離れる。
爆破する。

あまりにも単純だが、もはや他に手が残されていないアメリカ軍は、すぐにその作戦を実行へと移した。
今この瞬間にも、浅瀬では海兵隊が機銃攻撃を受け続けている。
先に上陸した部隊も、日本軍との交戦で摩耗してきているだろう。
残された時間もそんなに多くはない。

海兵隊工作員は、高性能爆薬を手に輸送船を出発した。
見つかれば、自身の体に風穴が空く。
機銃掃射が続けられている方角とは逆方向から、斉田丸へとゆっくり近づく工作員。
潜ってさえいれば、気付かれることはまずないはずだ。
だがしかし、絶対に見つかってはならないという危機感が、より一層の緊迫感をもたらしていた。

敵に決定的なダメージを与えるためには、敵がより多くいる箇所で爆発させなければ効果がない。
なんとか斉田丸へたどり着くことができた工作員は、しかしまだ安心はできないでいた。
これから自分は船をぐるりと半周し、敵が近くにいる箇所にまで接近して爆弾を取り付け、その後また船を半周して戻り、その爆弾を点火しなければならないのだ。

これ以上ない緊張感の元、船の陰に隠れて少しずつ移動を開始する。
頭の上では、今でも機銃を打ち続ける音が聞こえてくる。
今すぐにでもそれを止めに行きたくなる気持ちを抑え、船の外壁に爆薬を取り付けた工作員は、速やかに、しかし誰にも感づかれることなく、もと来た道を引き返していった。
その帰り道には、爆薬へ続く導火線が続いている。

その頃、斉田丸の甲板で機銃を打ち鳴らし続けていた日本兵は喜びに打ち震えていた。
作戦が見事に決まり、鬼畜米兵どもが慌てふためく様が楽しくてしょうがなかったのだ。
一発撃つごとに沈んでいく敵の体。
敵の艦載機の攻撃だって上手いことやり過ごせた。
戦争特有の、一種の病気ともとれる脳内麻薬の過剰分泌に、もはや日本兵は自分の体の制御すらままならない。
思うがままに、機銃を撃ちまくる。

しかし、機銃を気持ちよく撃っていたところに、突如として強烈な光が襲う。
一瞬にして五体を粉々に吹き飛ばされた日本兵たちは、その光が足元から来たという事すら認識することなく四散する。
アメリカ軍の、決死の工作員による斉田丸沈黙作戦は、秘密裏に成功したのである。

しかし作戦が成功し、日本兵が沈黙してなお、斉田丸は海から姿を消すことなく、そこに佇んでいたという。

斉田丸が沈黙した後は、今度こそ障害となるものが何もないことを確認し、Green Beachから進軍を開始する。
ようやくベシオ島西海岸へ上陸することができたアメリカ軍の1個大隊は、島の中央付近に居る日本兵との戦闘を避けるため、海岸を南へと進軍した、
同時に、ベシオ島北部(Red Beach)から上陸していたアメリカ軍海兵隊は、日本軍と交戦しながらも、南下することで日本軍のど真ん中を突っ切る形をとる。
結果として、日本軍は大きく損耗しながら、東西へとその戦力を分断されてしまうことになったのである。

日本軍からの無線連絡は、一瞬だけ通信が回復した22日午前に発信された「○○桟橋に通じる南北線付近で彼我対戦中」を最後に、通信が完全に途絶してしまっていた。


その5へ続く

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