2016/08/10

激戦タラワ環礁その3

1943年11月21日未明、まだ宵闇が海を覆いつくしている時間に、ベシオ島の西から北西にかけて待機していたアメリカ軍の輸送艦が、にわかに動き始めた。
アメリカ軍海兵隊による揚陸作戦の開始である。
19日から実施されていた戦艦からの訪韓射撃や艦載機による爆撃などにより、それなりのダメージを負ったと思われた日本軍に対し、アメリカ軍側の損害は今のところほぼゼロ。
一見焦土のように見えたベシオ島に、もはや生存者などいないのではないかと、半ば楽観視しながらの揚陸開始だった。


ベシオ島への上陸作戦は大きく3つに分かれており、それぞれ色で区分けされていた。

まず初めに揚陸を試みたのは上陸第1波である125輛のLVT(水陸両用トラクター)で、ベシオ島の西海岸にある水路からの侵入である(Green Beach)。
輸送船から続々と排出されるトラクター。
水陸両用なので、サンゴ礁のような浅瀬が多い地形にはもってこいの兵器である。
徐々に白み始める空。
ここに来て、ようやく日本軍の反撃が開始する。

耐えに耐えた2日間。

実を言うと、各トーチカの防御能力も、限界に来ていた。

来てくれて、ありがとう。

そして、さようなら。

トーチカの攻撃口が一斉に開き、海岸砲が突如出現した。

一斉に火を噴く、ベシオ島西海岸の砲台。
ほぼ動かない的に近いトラクターは、砲撃の格好の餌食となり、かなりの数のトラクターが沈められることになる。
結局、この時点での水陸両用トラクターによる上陸は叶わず、残ったトラクターは一時撤退を余儀なくされる。

しかし、ここで黙って見ているわけがないのが、同じく西海岸にいた、戦艦メリーランド。

照準器を除く主砲の射撃手の口角がニヤリと上がる。
前日までの砲撃と違うところ、それは、攻撃目標であるトーチカの「攻撃口」が開いているという事である。
Hey Jap、その間抜けな口に鉛玉ぶち込んでやるぜ!

FIREのかけ声と共に響く主砲の爆音。
砲塔から飛び出す、軽自動車を軽く上回る重さの砲弾。
その砲弾は、音速を超える速度で口が開いたトーチカへ直撃した場合、一撃でその機能を全て奪い去る。

各個撃破されていくトーチカ。

そして、メリーランドが放った砲弾の一つが、日本軍の保有する弾薬庫に着弾した。
その瞬間にまきおこる、島を揺り動かすほどの大爆発。

結果として、西海岸はメリーランド一隻のみの活躍により無効化・制圧されてしまう。


同時刻、海兵隊による上陸部隊がベシオ島北部から駆逐艦二隻を伴い、上陸を開始していた。


北部からの上陸部隊は、3拠点の同時制圧のため三つに分けられ、さらにそれらが前衛部隊、後衛部隊に分けられている。
このうち前衛3部隊は水陸両用トラクターに乗った海兵隊によって構成され、そのあとに戦車や野砲などを積んだ上陸用舟艇が続いた。
まずは三分間隔でトラクターが続々と出撃する。
北から進攻した上陸部隊にとって幸運だったのは、北側に配置された海岸砲が、西海岸よりも少なかったことである。
上陸部隊に同行した駆逐艦二隻による援護射撃もある程度の効果があったものとも思われる。
それにより、多数のトラクターが直撃弾を受けて沈んでいく一方で、機銃によるダメージのみで済んだトラクターも数多くあった。
結果として生き残ったトラクターは密集隊形を取りながら進むことで難を逃れ、3つの前衛部隊がそれぞれ海岸への到着に成功する。
しかし、それでも各トラクターが受けたダメージは相当のもので、全トラクターはその時点で破棄されることとなった。

前衛部隊が海岸に到着するのを待たずして、後衛部隊が輸送船を出撃する。
目指すは、前衛部隊が確保してくれているであろう海岸それぞれ3拠点、である。
物資を積んだ上陸用舟艇が海岸へ向けて進んでいく。
しかし、海岸から数百メートルも残っている箇所で、なぜか船底が海底に着床してしまい、それ以上先へ進めない。

珊瑚礁による、天然のトラップ発動である。
Red Beach 3からの景色。非常に遠浅なのが見て取れる。

珊瑚礁で形成されているタラワ島は、海岸からかなり遠くまでが遠浅の海となっている。
潮の満ち引きで波打ち際が百メートル以上前後する箇所も、普通に存在する。
水深が1.2m以上なければ先へ進めない上陸用舟艇は、そういう意味では珊瑚礁海域においては極めて不利な船であると言わざるを得ない。

仕方なく、海岸まで残り数百メートルの地点から、徒歩による進軍を行うことになった海兵隊。
当然、海中を歩く人間の速度などたかが知れている。
更に、アメリカ海兵隊は、それぞれ全重量2,30㎏にも及ぶ装備品を抱えての行軍であった。
付け加えて、海岸へ続く遠浅の海は珊瑚礁という自然が作り出したものである。
当然、完全なまっ平というわけではない。
ところどころ浅くなったり、逆に深くなっていたりする箇所がある。
そして、その深みに足を踏み入れてしまった海兵隊はその装備の重量により沈み、溺れてしまう者すらいたという。
当然、陸からの機銃掃射にもさらされ、ここでアメリカ軍は多数の死傷者を出してしまう。

日が完全に上りきった午前6時すぎ、北部上陸部隊の苦戦を感じた上陸作戦の指揮官は、艦隊への援護射撃と航空支援を要請する。
その要請をうけ、ベシオ島の西海岸沖からベシオ島へ向け、メリーランド、コロラドを含む戦艦3隻と、重巡洋艦2隻、軽巡洋艦3隻による一斉射撃が、ベシオ島へ降り注いだ。
先に上陸した前衛部隊からの、無線電話による詳細な偵察情報付きの砲撃は、より正確に日本軍の拠点の急所をとらえ、確実に戦力を削いでいった。

徐々に増えていく日本側の負傷兵。
そこで日本側のトップであった柴崎恵次少将は、鉄筋コンクリートで作られて堅牢であった司令部を負傷者救命用の治療所として提供し、自らを含む作戦司令部の面々をベシオ島南部の防空壕へと移すことにした。
ベシオ島西部からの砲艦射撃が開始して約6時間後の12時、防空壕へ移動した直後に戦艦からの砲弾が、まさにその防空壕へと直撃し、司令部が壊滅。
柴崎少将を含む参謀、司令部員の全てがその時点で戦死してしまう。

大将、討ち死に。

この、日本軍にとっては致命的であるダメージの司令塔の喪失は、しかしそれと同じくらい大きなまた別のダメージにより、日本軍全体への情報伝達を遅らせてしまうことになる。
それが、電話連絡回線の切断である。
島を一周するような形で形成された回線は、いたるところで分断されてしまい、各トーチカや防空壕、司令部などの間での連絡手段が、1日目にして喪失してしまった。
各トーチカを結ぶ地下通路があるにせよ、その後、日本軍の各戦略拠点は、それぞれ個別に動かざるを得なくなってしまった。
言い換えれば、部隊同士連携しての戦術的な戦闘ができなくなった、という事を意味する。

こうして、日本軍の頭脳と神経を同時に奪い去ることに成功した砲艦射撃であるが、しかしそれでも、日本軍の士気は未だ健在であった。

持ちうる砲弾を打ち尽くし、徐々に止む砲艦射撃。
全部隊の上陸が完了した海兵隊。
しかし、輸送船を出発した5000名のうち約3分の1が死傷し、戦闘不能になってしまっていた。

双方ともに甚大なダメージを被った戦闘が繰り広げられたにもかかわらず、この長い1日はまだ終わらない。

次に待っているのは、海兵隊と日本兵との、陸上における白兵戦である。

可能な限り、拠点を広げておきたいアメリカ海兵隊。
これに対して自己の拠点だけは絶対に死守したい、日本海軍陸戦隊の各個拠点兵たちはトーチカに籠り、断固として抵抗を続ける。

アメリカ海兵隊は、ここで一つの戦法を用いる。
それが「溶接バーナーとコルク栓抜」戦法である。
簡単な話、火炎放射器と爆薬を用いて各トーチカを一つずつ虱潰しに壊していくというものだ。

まずは火炎放射器をトーチカへ放射。
人が居なくなったことを確認した後、爆薬でトーチカを内部から破壊。
手榴弾で内部から爆破することで、同時に地下通路も潰せるというおまけ付きである。

こうして、アメリカ軍はこの日が暮れるまでに、レッドビーチ1の西半分の縦深140mとレッドビーチ2,3の境界の桟橋を中心とした幅460m、縦深260mにわたって確保することに成功したのである。

1日目終了時点での、ベシオ島北部の勢力図概略

その4へ続く

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