2016/02/29

Simple is best

私が日本でSEをやっていたときは、とても沢山の失敗をしてきたものだ。
それこそ酷いプログラムは量産してきたし、それによって色んな人達に多大な迷惑をかけてきた。
中には今でも絶賛稼働中のものがあるかもしれない。

とある漫画の中で、とても優秀な外科医がこのような言葉を残している。

外科医は、死なせた患者の数だけ成長する

当然、医療の世界で死なせていい患者など一人として居るわけは無い。
上記の言葉を残したキャラは、この点に関しても言及している。

ならば、私はどうだろう。
量産してきたクソコードの数々。
バグは当たり前、ソースは読みづらい、汎用性も低く、ドキュメントとの整合性も取れているかどうかわからない。
そもそもドキュメントの日本語すら、なんかちょっと怪しい。

しかしそんな私でも、1年前に自分が書いたコードを見たときにいつも思うのは、
「1年前の自分を殴りたい」
だ。

よくもまあ、こんなクソみたいな仕事ができたな、と。
つまり、成果物を作ったときに感じた反省点や経験はしっかりと身についているということなのだろう。

ITエンジニアは、書いてきたクソコードの数だけ成長する

それもまた事実だ、ということだ。

さて、そんな私がキリバスの保健医療サービス省という省庁に勤め始めてそろそろ1ヶ月が経過しようとしている。
正確には少し短いが、今日で2月も終わりなので、切りよくひと月経過ということでひとつよろしく。
少し前回のエントリーから期間が開いてしまったのにはちょっとした理由があるのだが、まあPC関係のトラブルがまた少しだけあったというのと、気持ちの問題だ。

そうそう、なぜかはわからないが、壊れたと思っていた私のノートPCがなぜか復活したのだ。
壊れた理由がわからなければ復活した理由もわからない。
少なくとも、アダプタは壊れていなかったらしい。
事が起こったのは一昨日の夕方、何もすることが無くて気まぐれにノートPCの裏蓋を開けてみていたときのことである。
バッテリーを装着したままにしていた状態だったのが功を奏したのか、ふとした瞬間に電源ボタンを押してしまった時に、急にPCが起動し始めたのだ。
頭の中で「!」マークと「?」マークが連呼し、あたふたしている間にwindowsが立ち上がる。
全く意味がわからない。

結果として、現在職場にこのPCを持ち込んで仕事をすることが出来ている。
現状考えているのは、マザーボード関係の接触不良だ。
ということは、またいつこのPCが動かなくなるかわからないということだ。
まあ、別にこのPCが無い間も普通に仕事は出来ていたので問題はないのだが、ブログを書くモチベーションという点でこのPCはあった方がいいなー、と思う。
なぜかというと、職場のパソコンは直近で再度OSを再インストールして以来、英語のまま使用しているので、日本語対応をするのが面倒くさいからだ。
すなわち、また私のノートPCが壊れてしまったら、そこから先はこのブログも英語で書かざるを得なくなる。

書くぜぇ~、超英語書くぜぇ~。


話がずれてしまった、仕事の話をしようとしてたのだ。

といっても、現状私がやっている仕事にプログラム関係の仕事はほとんど無い。
ハードウェアの管理やDBのメンテナンスなど、私がこれまで余り触れてこなかった分野の仕事がほとんどだ。
なぜ私がこれをやるかというと、他に誰もやる人が居ないためである。
いや、できる人が居ない、といった方が正確か。

ただ私が今管理しているシステムは色々な方面からかなり広く認められているようで、世界銀行(WB)や世界保健機関(WHO)から訪問される方々もこのシステムのことを知っていたりする。
このシステムから得られるデータを元にして、統計速報も作成していると思われる(他に統計情報を収集できる仕組みがあるとは思えないため)。
つまり、このシステムは既にこの国にとって無くてはならないものになっていると言っても過言ではない。
私の前任に当たる方は、私に「もしあなたがこのシステムが必要ないと判断したのなら、このシステムを使わないという判断も有りだと思います」と引継ぎ資料を締めくくっていたが、とんでもない。


私の歴代の前任に当たる人達が、このシステムを作り上げた。
前々任者がシステムをイチから作り上げ、スタートアップさせた。
前任者がシステムをアップグレードし、成長軌道へ乗せた。

しかし残念ながら、これを管理する体制は整っているとは言い難いどころか、ゼロに近い。
となると、現在私が抱えている課題はまず明確だ。
それは「システム管理体制の確立」と、「システムを安定軌道へ乗せる事」である。
そのためにまず必要なのは、運用マニュアルの作成と管理要因の確保である。

さて、「運用マニュアルの作成」や「管理要因の確保」と簡単に述べたが、これを実際にやるとなると事はそう単純ではない。
なぜかというと、「日本流のやりかたをそのまま現地に持ってくるわけにはいかない」からだ。

青年海外協力隊の使命の一つに、現地の「自助努力の活性化」がある(呼び方とかは違ったかも知れない)。
すなわち、現地人が現地人の力だけで出来ることを出来るようにする、というものだ。
それは必ず持続可能なものでなければならず、現地人が途中で飽きて放り出してしまうようなものであってはならない。
過去の隊員の中にも、独りよがりの自助努力を現地に押し付け、失敗してきたケースが数多くあったと聞いている。

特に、キリバス人は「面倒くさがり」であると言われている。
キリバス人自身がそう自覚しているかは定かではないが、我々日本人からしてみたら物凄く面倒くさがりなのだそうだ。
私はまだ任地へ来てふた月ほどなのでそこまで感じることは無いが、確かにレストランで出てくる食事の味付けは皆大雑把な味付けの物が多く、簡単に作れるような物ばかりだ(美味しいものは美味しいのだが)。

さて、この「面倒くさがり」という点を管理体制に組み込むとなると、どういう可能性を考慮しなければならないか、である。

例えば、引継ぎが満足になされない。
例えば、マニュアル自体を紛失してしまう。
例えば、サーバーが壊れたら壊れっぱなしにしてしまう。

これらをいかに管理するか、管理できるような体制を作るか。
否、「管理しやすい」体制を作ることが肝要なのだろう。

何事においてもそうだと思うのだが、「手軽で簡単便利でお得」が全て満たされたコンテンツは最強だと思う。
つまりは「ちょうど良い」ということだ。
つまりは広く人々に浸透し、長く愛されるということだ。

故スティーブ・ジョブズの残した言葉にこんなものがある。

最も重要な決定とは、何をするかではなく、何をしないかを決めることだ。

この言葉を、私はこう読み替えている。

システムに重要なのは、何を作るかではなく、何をつくらないかだ。 

複雑は仕組みは決して長続きはしない。

ITエンジニアとしてクソコードを書き続けてきた私が、彼の残した言葉の中で最も共感できる言葉だ。


果たして、キリバス人にとっての「手軽で簡単便利でお得」は一体どこにあるのだろうか。

2016/02/17

(^o^) < アリだー!

今回のエントリーは、苦手な人には少しつらいエントリーとなるかもしれないので、ダメだと思ったら迷わず戻るボタンを連打してください。

まあ単純に、虫に関するお話です。
皆さんにとっては幸か不幸か、写真はあまり残っていません。

ここキリバスに来てからというもの、色々なものに対してかなり耐性がついたと思う。
途上国での食事、水、現地人との触れ方。
そして何より、虫である。
元々そこまで苦手ではなかったのだが、こちらではかなりの長時間、虫やそれ以外の生物と共に生活をする。
なんせ南国。
なんせ途上国。
家の作りが甘い上に一年中虫が生息できる。
少しでも食べ残しを床に放置でもしようものなら、1時間後にはアリが大量発生する。
ただ、蚊と蝿に関しては寒い季節がないためか長寿命となることが多く、個体によっては反応がとても鈍いものがいる。
まさか蝿を手づかみで捕獲することができる日が来るとは思わなかった。

そんな南国のこの島において、私が個人的に最も気を付けなければならない生物は何かを挙げるとするならば、それは間違いなく「アリ」だ。
こいつらに比べれば、ゴキブリもネズミも可愛いものである。
基本的に私が認識しているのは、アリにも黒いものと赤いものの二種類が存在し、赤いやつは他の生物を積極的に襲う。
要は、超好戦的で攻撃的。
椅子に座ってキーボードを叩いているときに脛にチクリとした痛みが走るときは大体こいつだ。
噛むときに唾液か何かが噛み跡から侵入することもあるらしく、人によってはこれでアレルギーが出たりすることもあるらしい。
大きさ自体がそれほど大きくないので、あらゆる住居に侵入可能。
幸い私が住んでいる家には出ていない。
代わりに黒いアリが頻繁に出没するのだが、こいつらはこいつらで質が悪い。

黒いアリは生きている生物を襲うことは無いようだが、それでも大量に地面に湧いているところを発見するとゲンナリする。
この黒いアリで実は私は引越し早々大失敗を犯している。

あれは忘れもしない引越し二日目のことだ。
その前日、引越し初日の夜に窓の隙間から侵入するアリにゲンナリしたため、アリが何匹か這っている床の隅へ向けて殺虫スプレーを噴射したのである。
床にいたアリはすぐに倒れ、ピクリともしなくなる。
うん、現地で購入したモノにしては中々の威力だ。
残留成分が床にも残るらしく、後からやってくるアリも次々に殺虫剤にやられて動かなくなっていく。
まあ、普通に考えればこの時点で気付くよねっていう。

次の日、起きて部屋の隅を見てみると、なんだか昨日よりもかなり黒ずんで見える。
メガネをかけていなかったのでぼんやりと黒く見えるだけだったのだが、やはり黒い。
なんだか嫌な予感がし、メガネをかけて改めて見てみると・・・。



 (^o^) < アリだー!



それも「大量」なんていう生やさしい言葉ではとても表現しきれない。
おおよそ、巣がひとつ壊滅したのではないかという数のアリが、そこにはいた。

カラクリはこうだ。
前日、殺虫スプレーを撒く前から、アリは私の部屋の何かの生物の死骸があることに気がついており、その死骸に集る準備が整っていた。
そこへ、私が殺虫スプレーを噴射、死骸に集るアリの先陣隊が全滅する。
後衛としてサポートに回る役目だったはずのアリは、予定通り時間差で現地に到着するも、戦地に撒かれた大量の毒物により二階級特進を果たす。
更に後衛のアリがやってきて、以下略

そのままにしておくという選択肢はもはやあり得ないので、仕方なくほうきとちりとりを手に作業を開始する。
しかし、いざほうきで戦士たちを掃こうとすると、その内の50%程がもぞもぞと動き出すではないか。
いやお前らまだ死んでなかったんかい!!!
どうやらあの殺虫スプレーは、即死の効果ではなく虫の神経を麻痺させることにより、結果として死に至らしめるもののようだ。
従って、彼らの中には死に至らずとも四肢の動きを奪われ、そこから脱出できずにいたものも数多く居たのだろう。

関係あるか!全員外に出ろ!

全てのアリを綺麗に掃き取り、ちりとりで掬い上げる。
でかい黒い塊が出来上がったのが、遠目からはおはぎに見えなくもない。
・・・辞めよう、おはぎが食えなくなる。


という事で教訓、殺虫剤は、気をつけて使おう。


そんなこんなで波乱の幕開けとなった新居での生活なのだが、つい昨日、さらなる驚きの展開が待っているとは予想もしていなかった。
それは、私がその日の課業をすませて帰宅し、夕食を作っていた時のことだ。
前述した通り、家の中にはアリが湧くことがあるので、食料品やゴミに関しての取り扱いには最新の注意を払う必要がある。
例えばゴミ箱。

ダンボールを2つ重ねているが、下の方は空洞となっている。
なぜ重ねているかというと、これはネズミ対策を兼ねているのだ。
ネズミはこのようにダンボールを重ねていると、上に登ることができない。
下手に地面に置いておくと、密閉されているものもネズミがかじり、内容物が露出することでその他の虫を寄せ付けてしまうのだが、それを防ぐことがこのダンボール2つ重ねの狙いだ。
そして、この対策は公を奏しているのか、ネズミによる被害はこの対策後は発生していないようである。

しかしその日、このダンボールから異常を感じることになる。

ガサガサッ

二列あるうちの右側が燃えるゴミ、左側が燃えないゴミなのだが、燃えないゴミの方からなにやら異音が聞こえてくる・・・。

あー、これは、何かがいるな。

まずは下側のチェックである。
上のダンボールをどかし、2つある土台のダンボールを恐る恐る確かめる。
何もいない・・・。
協力隊の同期隊員から「ゴキブリバスター」というありがたい異名を授けられた私でさえ、突然の出来事には多少なりとも驚く。
なので、可能であればいきなりパッっと出てくるとか、そういうのは辞めて欲しい・・・。

次に、ダンボールの中に入っているビニール袋を改める作業へ移る。
ダンボールから袋を持ち上げ、内容物とその周辺に何もない事を確認。
何だよ、何もいねえじゃんか。
ホッと一息つき、ビニール袋とダンボールを元の形へと戻し、再度調理へととりかかる。

しかし、次の瞬間。


ガサガサガサッ!!!


今度は確かに聞いたぞこの糞野郎!!!


聞こえた音から、かなりの大きさの生物がいるものと思われる。
しかし、なぜ見落とした?
わからないが、再度確認をする。
ダンボールからビニール袋を取り出し、再度確認するもやはり何もいない。
再びビニール袋をダンボールへ戻し途方にくれていると、ダンボールの隅に何かがいるのを発見してしまう。

・・・何だこいつは。

なぜだ、なぜお前がそこにいる!




































(^o^) < カニだー!




いやお前マジでどっからなんの目的で
そこに入ったんだよァ?!





父さん、母さん、兄さん、キリバスでは燃えないゴミに、カニが湧きます。

真相は、知りません。


2016/02/11

PCを永眠させるという異名

先週から新居へ引越しをし、新しい生活がスタートしている。新居は2DKのとても広い家だ。
同じボランティアとして病院に務めている男性看護師の青野氏と同居となる。
私の前任であった方とも同居していたという事で、すでに家の中には生活に全く不自由しないほど家具やその他一式が揃い踏みであった。
青野氏はとても料理好きという事があり、これまで色々な食事を作ってくれているのだが、いつまでもそれに頼りっきりというのもまずいので、少しずつ覚えていこう。
リビングめちゃ広い!!!!!!!

さて、新しい生活がスタートしてから早速トラブルが一件発生している。
それは、日本から持ってきたノートパソコンが早速故障してしまったのだ。
電源ボタンをいくら押してもウンともスンとも言わなくなってしまっただけでなく、電源プラグを差し込んでも充電が開始しなくなってしまった。
恐らく電源の問題なのだろうと思ったので、まずは電源アダプターをテスターで調べる。
もしアダプターが生きていれば20Vと表示されるはずだ。
結果、表示されたのは「0V」。
よし、死んでるな。

アダプターが死んでいることがわかれば、パソコン本体の方は生きていることがわかるので、アダプターさえ別のものが手に入ればそのままそのパソコンは使えることになる。
しかしそこからがまた一つ問題で、どうやってこの国でアダプターを手に入れるのか、という事だ。
圧倒的に物資が少ないと言われているこの国においては、パソコン1台すら入手するのは困難だ。
いや、確かに手には入るが、日本で買って空輸したほうがはるかに高性能で安いパソコンが手に入る。
そんな所で、ましてやアダプターだけなんて、手に入るわけがない。
そう思い、長時間かけて探す覚悟を決めながら国内有数の大型スーパーにバスで片道1時間の道のりを終業後に向かう。
まさか手に入るわけないよなー、と思いながらも、家電製品のようなものが売っているらしき一角を見つけ、そこのカウンターのお姉さんにたどたどしい英語で話しかける。
「あー、Do you have an adopter for laptop computer?」
「Yes, here you are」

あんのかよ!!!!!!

実際に出てきたものを見ても、たしかにアダプターだ。
とはいえ、色々なメーカーのものに対応できるようアタッチメントがついており、それを差し込むと自動でアウトプットの電圧も変化する仕組みだ。
これは凄いと思い迷わず購入。
そして意気揚々と片道1時間の道のりをバスで帰り、帰宅後すぐにパソコンへ接続してみる。
しかし、立ち上がらないPC。

なんでだよ!!!!!!

もうわけわからん。
電源アダプターが死んでいたのは確かなのだが、同時に複数箇所が壊れるなんて言うこともあるのだろうか?
例えば過電圧などで壊れたのだとしても、電源アダプターが緩衝材になって本体への影響は少なくて済むという印象だったのだが、そうでもないようだ。
という事でPCは完全にお釈迦となりました。
2万円くらいで買ったやつなのでそんなにショックではなかったのですが、半年くらいしか使ってないことを考えるともうちょっと長持ちして欲しかったなー。


さて、仕事が始まる前に早速1台PCをぶっ潰したわけですが、仕事始めも割と波乱の幕開けとなりました。

今週からようやく、ようやく保健医療サービス省での勤務が始まり、現在は状況のキャッチアップを行なっている。
そんな勤務地では前任の方が残してくれた引継ぎ資料(DVD-ROM)や各種専門書、JOCV専用PC(windowsXP)があり、ありがたく使わせてもらっている。
そんなPCなのだが、初日、使っている最中に突然画面が止まったかと思うとPC内部から何かが引っかかっているかのような異音が発生。
原因はHDDドライブの故障。
その中には、前任者が残してくれていたと思われる資料も入っていたはず。

なんてこったと内心焦りながらも、カウンターパート(現地の同僚)には「OK,OK,no problem !」と言い、別のHDDが机に入っていたのでそれに取り替える。
幸い使えるHDDだったようなので現在それを使い、フリーのOSであるLinuxのUBUNTUを導入した。
どうにかこうにか色々といじくっているうちにようやく日本語が使えるようになり、今に至る。
ちなみに、私の机の中にはすでにぶっ壊れ済みのHDDが5台ほど入っている。
その中には、「これならどうだ」とカウンターパートが持ってきてくれて試したHDDが3台ほどある。
これほどまでに壊れやすいのか・・・。

この国は機械に優しくない国であるとは前々から聞いていた。
試しにテスターを電源に直で差し込んでみたところ、表示された電圧はなんと300V。
240Vを大きく上回る電圧だ。
この国では停電がよく起こると言われ、そういう意味では電気が不安定なのはまあ頷ける。
まさか電圧自体がアップダウンするとは予想もしていなかった。

確かに、発電機の質が良くなければ生み出される電気の電圧も一定である保証はどこにもない。
そしてそんな電圧で電気製品を使用していれば、消耗は早い。
こんな所にまで、途上国クオリティが存在するとは。

それ以外にも壊れる原因となるのが「埃」だ。
珊瑚礁からなるこの島はその土壌の全てが珊瑚礁で形成される。
珊瑚礁から生み出される砂は、時にとても細かい粒子となり、空気中を舞う。
そしてどういう侵入経路で入り込むかわからないが、いつの間にかPC内部の精密な箇所へ入り込んだ後にPCを内部から破壊するのだ。
特にHDDやCDドライブのような物理的な動作があるものは壊れやすいと言えるだろう。

さて、そんなこんなで今のところ私はずっとフリーソフトで活動しています。
いやまあ、意外といけるもんだなというのがもっぱらの感想です。
果たしてこのあとどうなるかわかりませんが。
とりあえず、プライベートの暇つぶし用に一つPCどこかで買おうと思います。


そうそう、私のニックネームは「MATI(マシ)」か「MATU(マス)」になりました。
とりあえず初対面の人にはもれなく「Please call me friendly, MATI」と言っているのだが、カウンターパートだけなぜか私をMATUと呼ぶ。
確かにキリバス語にはそれに対応する単語があるので覚えやすいのは確かだ。


ちなみにMATUの意味はキリバス語で「眠る」である。
この場合意味しているのは、単純私が寝るということなのか、はたまたPCを永眠させるということなのか・・・。


2016/02/03

かつて見たあの地へ

一瞬、何が起こったのかわからなかった。
ちゃんと軒下をくぐったと思い、頭を上げた瞬間に訪れた不意の衝撃。
一呼吸おいてから来る激痛に、ようやく私が何かに頭をぶつけたのだと理解が追いつき、苦痛に顔が歪む。
よほど凄まじい音がしたのか、それとも私の苦痛に歪む顔がよほど痛そうに見えたのか、ホストファミリーの面々が心配そうに頭のコブを触ってくる。

や、大丈夫、大丈夫ですから、そんなに心配しないで、すっげぇ痛かったけど。

私が頭をぶつけたのは、マネアバと呼ばれる集会所のようなものの屋根の縁だ。
マネアバとは各一族に一つずつほど存在する広場のようなもので、何か催しごとがあるたびにそこでパーティを開いたりする。
そして、このマネアバというものは、意図的に屋根が低く作られている。
その高さは、身長167cmの私ですら少しかがまなければ中に入れないほど低い。
なぜそんなに低く作られているのか?
理由は、入る際に必ず頭を下げなければ入れないようにするためだ。
ある種、神聖な場所ともされている。
ボクサーがリングに上がる際に一礼をささげるように、空手家が試合場へ上がる際に一礼をささげるように、マネアバに入る際にその場所そのもの、もしくは代々受け継がれているということなどに対して敬意を表する。
きっとそういう意味が込められているのだろう。
現地人でも、良く頭をぶつけるらしい。
ちなみに私は初日のうちに二回ぶつけました。

まねあば


さて、そんな波乱の幕開けとなったキリバスにおけるホームステイは、とても有意義な話の連続であった。
基本的にはこれでもかというくらいおもてなしをしてもらえたのだが、中でもホストファミリーのご主人とかなり長い時間話をさせてもらうことが出来た。
私がお世話になったファミリーの構成は、その家族だけで考えれば5人。
主人、奥さん、女子学生が3人の5人家族だ。
この家族を一言で表すなら「スマート」に尽きる。
主人をはじめとして、皆聡明な人達ばかりだ。
主人は現在50過ぎで、既に定年退職されている(キリバス国における定年は50とかそこらへんらしい)。
退職前の職業は携帯電話会社のテクニカルエンジニアだ。
しかし、ただエンジニアといっても、彼は本当に色々なことに思考を巡らせている。
世界情勢、宗教、最新技術、キリバスの行く末などなど。
週に一度、土曜日に教会で開かれているという宗教などに関する討論集会にも連れて行ってもらった。
なお、ここキリバスにおける宗教はキリスト教でプロテスタントとクリスチャンが半々ほど。
プロテスタントが金曜日に礼拝をするということで、集会の前日にも礼拝を見に連れて行ってもらっている。
礼拝の途中、参加者がチラチラとこちらを見てくるのが気になっていたら、牧師さんが私のことを紹介していたらしい。
「He said about you.」
「Me?!」
軽くびびる私。

さて、土曜の集会に集まったのは、老若男女併せて20名ほど。
一つ一つのコミュニティ自体がそこまで大きくないことを考えると中々の参加率である。
国の大きさが違えど、その中でも考える人は色々と考えている。
残念ながらキリバス語が堪能でない私はその集会を見るだけで終わってしまったが、いずれ英語ででもなんかしら意見の一つくらいは言えるようになりたいものである。

さて、それ以外に関しては割りとのんびりさせてもらっていた1日目と2日目だが、3日目に更なるイベントが待ち受けているとは知る由もなかった。

そのイベントとは、なんとピクニック。

え、ここの人らピクニックなんてすんの?と思っていたら、なんと里帰りなのだという。
いやいや、里帰りにポッと出の異界人連れて行って良いのか?!
後から考えると、とても凄まじい経験をしていたのだと実感する。
でも、ホストファミリーの娘さんの友人さんとかも一緒に来ていたみたいだし、まあ良いのだろうか・・・。

行き先はノースタラワ。ホストファミリーの奥さんの親戚がそのあたりなのだという。
トランスポーター(軽トラ)をチャーターし、家族とその一族、友人たちを丸ごと乗っけていく。
トラックの荷台に15人くらい乗っかってます。皆言い笑顔。私も良い笑顔をするようになったもんだ


そして実際にその地へ行ってみると、驚きの光景が広がっていた。

去年の暮れ、2015年12月ごろに放映されたテレビの中に、世界の絶景にある家という名目でこのキリバスの家が紹介されたことがある。
その家はまさに海の上に存在する家で、伝統的な作りが今に生きるものだ。
その家の一つに、なんと今回案内してもらうことができた(いくつか家が建っていたので、案内してもらった家がテレビで紹介されたものであるかは定かではない)。
案内してくれたのはホストファミリーの娘さんの一人。
きりっとした目が主人に似た、とても綺麗な娘だ。
その家の家長である大婆様が、なんとその娘の叔母に当たるという。
いや、どう見ても3,40歳は離れてるけど君ら。
んで、叔母って言うことは奥さんのお姉さんにでもあたるのだろうか。
その大婆様が、一枚の写真を取り出して見せてくれた。
そこには、大婆様と並んで写っている日本人と思われる人達の姿が。
案内してくれた娘さん曰く、日本のテレビクルーだというが、まさかな・・・。
え、これ入って良いの?ホントに良いの?!

潮が満ちるとここら辺まで波がきます


また、その大婆様とは別の、奥さんのご兄弟の方にも住居周辺を案内してもらう。
周囲には伝統的なココナッツの木で作られた家々が立ち並ぶ。
その中の一つに小学校があったのだが、なんとそれすら伝統作りのものだ。
すげえ、ホントにPrimary Schoolって書いてある


そこにいる子供たちは元気いっぱいだ。
歩いていると幼稚園から小学校低学年くらいの子供たちが物珍しそうな感じで後を付いてくる。
ちなみに私が集落を訪れた日は冬休みの最終日なので、子供たちも外で遊んでいた。
中には抱きついてくる子供すら居たのが、君ら少しは異界人に警戒心持とうよ。
その子供たちを見ていると、この国が世界の中でも最も貧しいとされている国の一つであるということを忘れてしまう。
この国には、少なくとも子供たちには笑顔が溢れている。
ただの一人として、貧困にあえぐ人の姿を見たことがない。
しかし、一見綺麗に見える水の中にも細菌が潜んでいることがあるように、目に見えない深刻な問題は潜んでいるものだ。
これに関してはほぼ確実に後述することになるだろうが、改めて、国が違えば国際協力のあり方も変わってくるのだと実感させられる。

壁ない

絨毯も伝統的な作りのものです。これはココナッツの葉で作られたものではないようです


あらかた近所を回り終えると食事の時間だ。
これもやはり伝統的なスタイルの食事が出てきたのだが、一つ違うのは輸入物の鶏肉が出てきたということ。
しかも、これの調理方法は完全にバーベキューだ。
ただ燃料はココナッツの繊維とか、引っぺがした葉っぱとかです。
しかし、食卓の大きさを見ると、明らかにその人数を収容できる大きさではない。
見ると、若い面々は別のところに集まってワイワイと話をしたりしているようだった。
要は、時間差で食事をするということなのだろう。
先に食事をするのは家長や年齢の高い人達、そしてゲストだ。
私よりもふた周りは上であると思われる方々と一緒に食事をすることになる。
ただ、その際に家長が代表して祈りをささげた。
「Thank you God for the food, the name of Jesus, Amen」(最短縮形、実際はもっと長い)
ここにもキリスト教という宗教が色濃く影響しているといえる。

いやこれマジ全部美味しかったからホント


私といえば、祈りが終わって皆が食べ始めるのをよそに「頂きます」をする。
その日本式の挨拶が気になったのか、今のは何だと皆から聞かれたので、皆に「いただきます」、「ごちそうさまでした」と、その意味を教える。
彼らに教えたそれらの意味はもちろん、「食べ物、それを作る人、それを育む大地、気候、全てのものへの感謝」だ。
中にはなんと少し日本語を覚えていらっしゃる方も居たようで、「アリガトウ!」と連呼していた。
それだけのことで、なんとなく嬉しくなってしまう。
そう、やはりコミュニケーションの基本は現地語なのだ。
きっと、彼らも同じなのだ。
我々が現地語を使えば、彼らも「お、こいつはちょっと他の国のやつらとは違うぞ?」と喜んでくれる。
そうやって、少しでも心を開いてくれるのであれば、私は喜んで現地語を覚えよう。
コ ラパ(ありがとう)。

外を見ると、まさにテレビで見たような光景が広がっている。
そのテレビを見たとき一言「俺は、こんなところへ行くのか・・・」と漏らしていた。
その、かつて見たあの地へ、私は今立っている。
それだけのことで、なんだか不思議な感覚に襲われる。
この感覚に名前をつけるとしたら、どんな名前になるのだろう。「感慨」?「哀愁」?


そんなこんなで、私の3日間はあっという間に過ぎ去っていった。

4日目の朝、迎えが来て、別れ際に主人が私に言う。
「また来てくれ、我々はいつでもお前を待っている」

父さん、母さん、兄さん、日本から遠く離れた地に家族が出来ました。

PS: 折り紙は特にお花がとても喜ばれます。
例えばこんなの