1979年7月12日、それまで長く続いていたイギリスからの支配を逃れ、タラワ島をはじめとした33の島々を含む広大な領域が、一つの共和制国家として独立を果たした。
その国家は、対外的には「ギルバート諸島」から捩った「キリバス」という国名で呼ばれることになる。
そしてその後、この7月12日は国民にとって最も特別な日の一つとなり、その日を含む1週間を「インデペンデンスウィーク」として定め、国民の休日として1週間丸々国を挙げてのお祭りが開催されることになったのである。
ということで、半年ぶりくらいの長期休暇を頂きました。
期間としては1週間+土日=9日間と、日本でいうところのゴールデンウィークかシルバーウィークに相当する。
連日、色々な催し物やイベントが開催されたりするわけだが、目玉となる日はやはり12日火曜日。
12日は朝早くから関係各国の大使などが参列する大々的なパレードがあったりする。
そのパレードがあるタラワ島の政治の中心地「バイリキ」においては、普段は見られない出店なども数多く出店し、タレントショーや美人コンテストなんていうのも開催されるというから驚きだ。
私もこの1週間、何日かはバイリキへ向かい、色々なイベントを見たりした。
ちなみに、どこでいつどのようなイベントが開催されるかは、事前に新聞で全て告知される。
A4の紙4枚分に相当する数のイベントが開催されるわけだが、私の目当ては「スポーツイベント」だ。
この国でスポーツというと、一番はサッカーらしいのだが、正直サッカーは個人的に興味がない。
興味があったのは、この国で普及しているという「タイクァンドー」と呼ばれる格闘技だ。
このタイクァンドーであるが、元は韓国の「テコンドー」で実際には見たことはないが、恐らくテコンドーと同じような格闘技なのだろう。
このインデペンデンスウィークのどこかで、このタイクァンドーの試合があると聞いていたので、是非とも見たいと思っていた。
しかし、手に入れた新聞のなかに入っていたスケジュールのどこを見ても、タイクァンドーの記載が見当たらない。
残念、今年はタイクァンドーのイベントは開催されなかったようだ。
まあ、とはいっても、今回はもう一つ、是非とも見ておきたかったスポーツがあったのだ。
それは、ずばりバレーボール。
私が現在ボランティアとして所属している組織はMinistry of Health and Medical Serviceという省庁の、Health Information Unitと呼ばれる部署だ。
その部署の中で、私のカウンターパートに当たる女性が、なんとバレーボールをしているのだ。
聞くと、その女性の旦那さんもバレーボールの元プレイヤーだったそうだ。
この旦那さんが結構やり手で、タラワ島内にあるチームのうち、男女併せて3つのチームのコーチを務めており、海外遠征などにも行ったりすることがあるらしい。
カウンターパートが所属する女子バレーチームもそのうちの一つで、これら3つのチームが出場するバレーボールの試合が、このインデペンデンスウィークに開催されたのだ。
予選は、インデペンデンスウィーク始まってすぐの7月9日。
カウンターパートが所属するチームは順当に勝ち上がり、決勝戦へコマを進めた。
一方、旦那さんがコーチを務める男子チームはというと、最初の2セットを落とし、危機的状況から3セット連取の大逆転劇を見せ、辛くも決勝進出を決めた。
決勝戦のある7月12日は奇しくもインデペンデンスデイ。
多くのキリバス人が集まるインデペンデンスウィークの中でも最も盛り上がるこの日、バレーボールコートの周りには人だかりができていた。
そんな中行われた決勝戦。まずは女子バレーからだ。
カウンターパートは残念ながら控え。
しかし、チームは3セットを楽々先取し、あっけなく優勝を決めてしまう。
圧巻だったのは、そのレシーブ力。
不足気味の攻撃力を補って余りある防御力で終始相手を圧倒しての圧勝となった。
続く男子バレーは、接戦となった。
旦那さんが率いるチームのうち、女子チームが防御力とするならば、男子チームは攻撃力。
中でもエーススパイカーのスパイクが面白いように決まる。
しかし相手チームの攻撃力もなかなかのもので、試合は双方打ち乱れての打撃戦となった。
1セット取れば1セット取られる、これを二回繰り返し、迎えた最終セット。
わずかに、こちらのチームの地力が勝ったのか、デュースまで持ち込んでギリギリで勝利を収めることになった。
最後の最後、エーススパイカーが決めたスパイクでラストポイントが入った瞬間に沸き起こる大歓声。
控えからチームメイトがコート内に乱入、コーチであるカウンターパートの旦那さんも乱入。
コート内は、優勝を喜ぶ熱気に包まれた。
さて、男女両チームの優勝を見届けて暫くして、さて今から何をするかと思ってコートのサイドでボーっとしていたら、今回の優勝の立役者である旦那が話しかけてきてくれた。
「ようMasu(私のここでの仇名)、あんた酒飲めるか?」
「お、旦那!優勝おめでとう!俺?酒なら少しは飲めるけど」
「よし、じゃあ飲むぞ!」
「え?お、おう」
そういって、彼は私をチームメイトが集まっているところへ引っ張っていく。
「ほれ、どうぞ」
「ん、これは?」
「コキオキっていうんだ、飲んだことないか?」
「いや、名前はよく聞くけど、初めて飲むな」
「そうか、じゃあこれの飲み方を教えてやる、こう飲むんだ!」
そう言うなり、私に渡したコップとは別に自分が持っていたコップの中身を、一気にあおる旦那。
ちょ、イッキかよ!
コップの大きさはさほど大きくはないため、それほど量的には大変ではないと思われるが、アルコール度数的には大丈夫なのだろうか。
一抹の不安を覚えながらも、私も郷に従う。
「OK, I’ll go!!!」
コップの中身を一気にあおる。
途端に口に広がる酸味と、得体のしれない味。
これまで味わったどんなお酒とも違う、決して不味いというわけではないが、慣れが必要だ。
いや、慣れれば普通に美味いかもしれない、きっと。
この「コキオキ」であるが、材料はココナッツの「樹液」。
ココナッツの木に傷をつけ、括り付けておいた瓶に少しずつ抽出したものを発酵させて作る。
早い話が、日本でいう「どぶろく」、という話を聞いたことはあったが、どぶろくというものを飲んだことがない私には、経験上の比較対象がない。
「うっぷ、これ、アルコール度数何%だ?」
「すまん、気にしたことないからわからん」
そりゃそうだ。
基本的に自家製である以上、その発酵度合いも時によってまちまちになるだろうし、そもそもこの国の人たちがそんな細かいことを気にするわけがない。
要は、酔えればいいんだから。
気が付くと、私は男子バレーチームの面々が集う円陣に組み込まれていた。
10リットルはあろうかというコキオキが入った樽を囲んでバレーコートのど真ん中に陣取るチームメイトと私。
期せずして、私は祝勝会へ参加することになったのだ。
チームメイト以外の外国人は私一人。
それどころか、チームメイト以外のバレーボール関係者すら、私しかいない。
なんて名誉なことなのだろうか。
というか、私ここに居て良いのか。
円陣を順々に、コップが回っていく。コップが回ってきた人は、樽からコキオキを掬い、あおる。
「Hey Masu、Don't you forget how to drink it?」
「Year, I know how to drink it!!!」
私はそう言いながら、コップの中身を空にする。
それを繰り返すこと10数回。
歌って踊って笑って、あっという間に3時間が経過した。
最終的に、私が飲んだコキオキの量は、コップ17杯。
同じ方面へ向かうというチームメイトの車へ乗せてもらい、家へと向かう。
ちなみに私が住んでいる家の大家はこのタラワ島においてはかなりの有名人で、その大家の名前を告げただけで場所を完璧に把握してもらえた。
車に乗ったところまでは覚えているのだが、次に私の記憶に残っているのは、次の日の朝、とんでもない頭痛と体の重さを感じながら目を覚ましたことだ。
完全無欠のハングオーバーにより、水曜日を完全に寝潰してしまうというオチ付きで、私の人生で上位10番目以内には確実に入る「飲み過ぎ」の夜、スーパーコキオキタイムは幕を下ろした。
コキオキ、また飲みたいけど、原料がココナッツだから、コレステロールとか大丈夫かな・・・。
2016/07/18
2016/03/17
Country Road
最近、自分のPCが直ったことで、夜に出来る活動が少し広がった。
そのうちの一つに「英語の勉強」があるのだが、いったんやり始めると時間を忘れて取り組んでしまうという癖があるため、時折、夜シャワーを浴び損ねるという事態に遭遇する。
実は昨日もそうだったので、今日は朝シャワーだ。
本当は髪の健康ためには朝シャワーはよろしくないようなのだが、まあ浴びないわけにはいかない。
ちなみにこちらのシャワーは基本的には水である。
湯沸かし器の付いているようなところは基本的には高級ホテルかブルジョワな家庭かのどちらかだ。
そもそもシャワーなんていうものがない家だって存在するので、シャワールームがあるだけマシというものだ。
これまたちなみに、シャワーのない家に住んでいる人達は風呂はどうするかというと、まあ海があるし、なんだったら井戸水浴びればいいし、天然のシャワーだって頻繫に降ってくるので、別に問題はない。
年中暑い国だからこそ出来ることだ。
さて私はというと、シャワーがあるというありがたみをかみ締めながら毎日風呂に入っているわけだが、今朝は朝シャワーを浴びたことを少し後悔することになる。
シャワールームに入り、軽く水を浴びて身体を濡らした後に石鹸で頭と顔を洗い終えたところである。
泡だらけの頭と顔をすすぐため、再びシャワーの蛇口をひねるのだが、水が出てこない。
いや、出てくることは出てくるのだが、微々たる量しかでてこない。
なんてこった。
この事態が発生した原因は、一言で言えば「停電」である。
この国では各家庭の上水は基本的には自給自足(雨水や井戸水)で、水道も電気が必要である。
電気がなくても水道のタンクとの高低差から少しくらいは水は出てくれるのだが、本当に少ししか出てこない。
しょうがないので、今回はそのチョロチョロの水を使って頭と顔をすすぐ。
が、やはりとてつもなく時間がかかる。
人間は割りと電気があれば何でも出来てしまう生き物だが、逆に電気がなければこうも脆弱な生き物に成り果ててしまうものかと改めて実感してしまった。
最近、私の住んでいる家付近においては、朝から夕方にかけて電気がずっと停まっている。
朝は大体7時半から、夕方は5時くらいまでだろうか。
しかも土日は停電しない。
まるで、人が働いている時間を見計らって誰かが電気を停めているかのようだ。
まあ、実際意図的に電気を遮断しているのだが。
キリバスの首都タラワ島においては、電柱があまり存在しない。
気にしていないだけでどこかにあるのかもしれないが、私は見かけた記憶がない。
ここで見かける高くて直立した物体といえばココナッツの木かそれ以外の南国の植物がほとんどだ。
ならば、電線はどうしているのか?
答えは地下ケーブルだ。
タラワ島は基本的に細長い地形となっているので、その主要道路はただ一本、国道1号線が存在するのみである(実際にそういう名称があるかどうかはわからない)。
なので、その道路に沿って電気のケーブルが一本地下を通っている、はずである。
そして、もし道路でなんかしらの工事があったりすると、安全を考慮して電気を停めるのである。
周囲一体を全て停めてしまうあたり流石としか言いようがない。
なお、私の住居の周囲では最近道路工事をずっとしている。
私がこの国に来る前にこの周辺の道路のコンクリート舗装は完了し、ほぼ道路としての体裁は整っているはずなのだが、まだ何かやってる。
まあ、気が付くと標識が立っていたり、道路に線が引いてあったりと少しずつグレードアップしているので、やることが全くないということはないのだろうが、電気が停まるのだけはどうにかして欲しいものだ。
道路工事のために、俺たちは洗濯も入浴もできねえ!
なお、道路のコンクリート舗装事業は現在も継続中で、タラワ島のどこかで今もMacDowという業者が道路にコンクリートを流すというお仕事を頑張ってくれている。
このコンクリート舗装のおかげで、交通の便がかなり向上したことは私が語るまでもないのだが、本来であれば去年のうちに完了しているはずであった工事が、まだ進捗は途中である。
道路工事が完了しなければ、これからも停電は続く。
そのうちの一つに「英語の勉強」があるのだが、いったんやり始めると時間を忘れて取り組んでしまうという癖があるため、時折、夜シャワーを浴び損ねるという事態に遭遇する。
実は昨日もそうだったので、今日は朝シャワーだ。
本当は髪の健康ためには朝シャワーはよろしくないようなのだが、まあ浴びないわけにはいかない。
ちなみにこちらのシャワーは基本的には水である。
湯沸かし器の付いているようなところは基本的には高級ホテルかブルジョワな家庭かのどちらかだ。
そもそもシャワーなんていうものがない家だって存在するので、シャワールームがあるだけマシというものだ。
これまたちなみに、シャワーのない家に住んでいる人達は風呂はどうするかというと、まあ海があるし、なんだったら井戸水浴びればいいし、天然のシャワーだって頻繫に降ってくるので、別に問題はない。
年中暑い国だからこそ出来ることだ。
さて私はというと、シャワーがあるというありがたみをかみ締めながら毎日風呂に入っているわけだが、今朝は朝シャワーを浴びたことを少し後悔することになる。
シャワールームに入り、軽く水を浴びて身体を濡らした後に石鹸で頭と顔を洗い終えたところである。
泡だらけの頭と顔をすすぐため、再びシャワーの蛇口をひねるのだが、水が出てこない。
いや、出てくることは出てくるのだが、微々たる量しかでてこない。
なんてこった。
この事態が発生した原因は、一言で言えば「停電」である。
この国では各家庭の上水は基本的には自給自足(雨水や井戸水)で、水道も電気が必要である。
電気がなくても水道のタンクとの高低差から少しくらいは水は出てくれるのだが、本当に少ししか出てこない。
しょうがないので、今回はそのチョロチョロの水を使って頭と顔をすすぐ。
が、やはりとてつもなく時間がかかる。
人間は割りと電気があれば何でも出来てしまう生き物だが、逆に電気がなければこうも脆弱な生き物に成り果ててしまうものかと改めて実感してしまった。
最近、私の住んでいる家付近においては、朝から夕方にかけて電気がずっと停まっている。
朝は大体7時半から、夕方は5時くらいまでだろうか。
しかも土日は停電しない。
まるで、人が働いている時間を見計らって誰かが電気を停めているかのようだ。
まあ、実際意図的に電気を遮断しているのだが。
キリバスの首都タラワ島においては、電柱があまり存在しない。
気にしていないだけでどこかにあるのかもしれないが、私は見かけた記憶がない。
ここで見かける高くて直立した物体といえばココナッツの木かそれ以外の南国の植物がほとんどだ。
ならば、電線はどうしているのか?
答えは地下ケーブルだ。
タラワ島は基本的に細長い地形となっているので、その主要道路はただ一本、国道1号線が存在するのみである(実際にそういう名称があるかどうかはわからない)。
なので、その道路に沿って電気のケーブルが一本地下を通っている、はずである。
そして、もし道路でなんかしらの工事があったりすると、安全を考慮して電気を停めるのである。
周囲一体を全て停めてしまうあたり流石としか言いようがない。
なお、私の住居の周囲では最近道路工事をずっとしている。
私がこの国に来る前にこの周辺の道路のコンクリート舗装は完了し、ほぼ道路としての体裁は整っているはずなのだが、まだ何かやってる。
まあ、気が付くと標識が立っていたり、道路に線が引いてあったりと少しずつグレードアップしているので、やることが全くないということはないのだろうが、電気が停まるのだけはどうにかして欲しいものだ。
道路工事のために、俺たちは洗濯も入浴もできねえ!
なお、道路のコンクリート舗装事業は現在も継続中で、タラワ島のどこかで今もMacDowという業者が道路にコンクリートを流すというお仕事を頑張ってくれている。
このコンクリート舗装のおかげで、交通の便がかなり向上したことは私が語るまでもないのだが、本来であれば去年のうちに完了しているはずであった工事が、まだ進捗は途中である。
道路工事が完了しなければ、これからも停電は続く。
2016/03/08
健康は日々の食事から
我々、青年海外協力隊員は、それぞれ皆異なるミッションを抱えて様々な国で活動をしている。私の場合はコンピュータ技術で、この国の電子カルテシステムの保守運営のサポートをすることだ。
一方で、隊員全員が全て抱えている、共通のミッションのようなものが存在する。
その一つが、「必ず生きて日本へ帰ってくること」だ。
そして五体満足が原則。それが出来なければ、晴れて「Mission Failure」となる。
なので、事前訓練においては健康管理やリスクマネジメントといった内容の講義を山のように受けさせられ、様々な知識を頭に詰め込まされる。0.1%でも生存確率を上げるためだ。元より危険な地域へは派遣されない青年海外協力隊なので、数あるボランティアの中でも特に安全とは言えるのだが、こういった入念な事前準備がさらに生存確率を上げていることはもはや語るまでもない。
さて、それだけ健康やリスクに関して入念な事前準備をしていても、やはり何が起こるかわからないのが人生というもので、これは途上国だろうが先進国だろうが変わることはない。交通事故に遭うときは途上国だろうが先進国だろうが遭う時は遭うし、病気にかかるときは途上国だろうが先進国だろうがかかる時はかかる。まあ何が言いたいかというと、要は風邪を引きました、ということだ。日本に居た時は就職してからというもの風邪なんてひいた記憶は、まああるにはあるが、休暇を取るほどの風邪は記憶がなかった私が、こっちに来てからふた月足らずで風邪でダウンとは、まあなんとも情けない話だ。
3/2(Wed)
その日の夕食は軽く、ツナサンドにカップスープで済ませたのを覚えている。食事の前から軽い胃のムカつきを抱えてはいたのだが、メシをしっかり食ったら治るだろうという脳筋特有の無茶理論を展開しながら、乗り切ろうとする。思えばその日は職場でもウィンドブレーカーを羽織ったりするなど、少々寒気を感じていたりもした。
ちなみに職場で私の机があるのはサーバールーム。エアコンが24時間365日フル稼働で、気温は常に25度に抑えられている部屋だ。日本国内の一般的なサーバールームと比べれば暖かい方だろうが、そんなにでかいサーバーが大量に置いてあるわけでもないし、何よりそこで人が作業することを想定しているとなれば、それ以上に寒くする必要性も必然性もない。だが、私にとってはその気温でも時折寒さを感じることがある。生来の寒がりなのである。
さて、そんな寒がりな私がその日、夕食を終えた後にいつも通り映画を見ていたときのことだ。徐々に、本当に徐々に胃のムカつきが大きくなっていく。その日は往年の名作「Back To The Future」を英語音声、英語字幕で見ていたのだが、途中から全く内容が頭に入ってこなくなる。別に吐くほどのムカつきではないのだが、胃の中に鉛でも入っているのではないかと思うような。これは何かに当たったか?と思いながら、ひとまず日本から持ってきた「新三協胃腸薬」の錠剤が入っているビンの封を開く。用量の3錠を水で流し込み、もはやDVDの内容など頭に入ってこなくなったので、PCの電源を落とし、ベッドに横になる。この時、夜の9時。
しっかり寝れば治るだろうという脳筋特有の無茶理論を展開しながら、ベッドの中で眠くなるのを待つ。しかし、待てども待てども眠気は来ず、代わりにやってくるのは胃の嘔吐感。徐々に質量を上げていく胃の中の鉛。苦しみに耐えながらベッドの中でもがく。2時間ほどベッドで横になっていただろうか、半分起きて半分寝ているような状態から、ようやく意識を手放すことに成功する。
そして日付が変わった午前2時ごろ、食べたツナサンドとカップスープを全て吐いた。
3/3(Thu)
夕食を全て吐いた私は口の中をゆすいだ後、再び布団に入る。食事を全て戻したことで胃のムカつきはなくなったのだが、吐く際に胃にかなり無理がかかったのか、今度は少し胃痛を抱えることになる。そして、吐くのと一緒に下からも水のような便が滝のようにあふれ出てくる。それにつけ加えて猛烈な寒気が私を襲う。体も猛烈に熱いのがわかる。そんな気力もなかったので測っていないのだが、体温は恐らく39度を超えていたはずだ。余りの寒気に、タオルケットに包まるようにして眠る。体の不調が眠りを妨げたため、その日は結局ほとんど寝ることが出来ずに朝を迎えることになった。
朝7時。いつも通りセットしていた目覚まし時計が鳴る。普段ならここで「もう20分・・・」と言いながらタイマーを再セットしてDive to bed againなのだが、今日はそうはいかない。重い体を起こし、部屋の扉を開けてルームメイトに体の不調を伝える。職場への連絡も忘れない。8時ごろ、ルームメイトが部屋を出た後で、自分の食事を始める。その日の食事はヨーグルトとパン、以上。かなり酷い下痢と胃腸の不調により、消化の悪いものは口には出来ない。この国で手に入るであろう消化の良いものといったら、今のところ思い浮かぶのはこのヨーグルトとパンしかなかったのだ。
ちなみにこのヨーグルト、かなり前から何世代にもわたって自家培養を繰り返してきたものなのだそうだ。他の隊員もこれを行っているらしく、牛乳さえあれば半永久的にヨーグルトを食べ続けられる。なんとありがたい話なのだろう。私もこれを後輩へ受け継いでいこう。まあ今は私がその恩恵を受けるときなのだが。
食事を終えるとお薬の時間だ。今回服用した薬は全て日本から持参したもので、ラインナップは以下の通りである。
改元・・・総合感冒薬 3錠
新三協胃腸薬・・・総合胃腸薬 3錠
ビオフェルミン・・・整腸剤 3錠
マルチビタミン&ミネラル・・・栄養剤 1錠
占めて10錠。まるで「強力わかもと」みてぇな分量だな!
ビタミン剤は1日1錠なので朝のみ、これ以外の計9錠を朝昼晩の3回服用する。薬はこれ以外にも解熱剤としてタイレノール(解熱鎮痛剤)を持ってきているのだが、これはまたの機会に取っておく。熱を測ると38度あったので解熱剤を飲んでも良かったのだろうが、風邪を引いたときの熱は必要なものだという話は有名なので、敢えて熱は高い状態をよしとする。
さて、やることをやり終えると静寂が訪れる。聞こえるのは波の音だけ。日中とはいえ、明かりを消していれば薄暗い部屋の中。胃のムカつきがほとんど収まっているので、体調は頭が熱でぼんやりとするのと若干だるい以外に問題はない。これならベッドに入ればすぐにでも眠れそうだ。ということでその日は本当に何もせず、寝ては起きてを繰り返し、起きている時間も椅子に座ってボーっとするだけの時間を過ごす。ここまで何もしなかった1日はかなり久しぶりではなかっただろうか。結果として1日で熱は下がり、体調も次の日には問題なく復活した。
ビオフェルミンの飲みすぎで便秘になった以外はなァ!
さて、結局1日で回復してしまったこの体調不良であるが、結局原因はなんだったのだろうか?こっちは風邪と決め付けているのだが、果たして本当にそうなのか。ルームメイトは同じ青年海外協力隊で看護師として来ている男性なのだが、その人が言うにも恐らく風邪であるということなので、まあそうなのだろう。要は胃腸を中心とした症状が多かったため、食べ物が原因の疾患も考えられるな、と思ったのだ。しかし、例えば病原性の大腸菌やコレラやノロだったら、間違いなくこの程度のダメージではすまなかったはずだ。この国にそういった菌が居るかどうかはわからないが、ありえない話ではないだけに今回は運が良かったと考えるべきだろう。
あとは風邪の予防だ。今回の体調不良を風邪と断定するのであれば、今後どうやって風邪を予防するかが課題となる。そもそも、なぜ風邪を引いてしまったか。恐らく考えられる原因は一つ、ビタミン不足だ。常日頃バランスの良い食事は心がけてはいるのだが、どうしたって野菜不足は避けられない。そうなると、もはや日常的にビタミンをサプリメントで補う他方法はないだろう。日本から持ってきたビタミン剤360日分が火を吹くぜ。
さて、健康第一の協力隊員ですが、皆様におかれましても健康に過ごされますようお祈り申し上げます。
一方で、隊員全員が全て抱えている、共通のミッションのようなものが存在する。
その一つが、「必ず生きて日本へ帰ってくること」だ。
そして五体満足が原則。それが出来なければ、晴れて「Mission Failure」となる。
なので、事前訓練においては健康管理やリスクマネジメントといった内容の講義を山のように受けさせられ、様々な知識を頭に詰め込まされる。0.1%でも生存確率を上げるためだ。元より危険な地域へは派遣されない青年海外協力隊なので、数あるボランティアの中でも特に安全とは言えるのだが、こういった入念な事前準備がさらに生存確率を上げていることはもはや語るまでもない。
さて、それだけ健康やリスクに関して入念な事前準備をしていても、やはり何が起こるかわからないのが人生というもので、これは途上国だろうが先進国だろうが変わることはない。交通事故に遭うときは途上国だろうが先進国だろうが遭う時は遭うし、病気にかかるときは途上国だろうが先進国だろうがかかる時はかかる。まあ何が言いたいかというと、要は風邪を引きました、ということだ。日本に居た時は就職してからというもの風邪なんてひいた記憶は、まああるにはあるが、休暇を取るほどの風邪は記憶がなかった私が、こっちに来てからふた月足らずで風邪でダウンとは、まあなんとも情けない話だ。
3/2(Wed)
その日の夕食は軽く、ツナサンドにカップスープで済ませたのを覚えている。食事の前から軽い胃のムカつきを抱えてはいたのだが、メシをしっかり食ったら治るだろうという脳筋特有の無茶理論を展開しながら、乗り切ろうとする。思えばその日は職場でもウィンドブレーカーを羽織ったりするなど、少々寒気を感じていたりもした。
ちなみに職場で私の机があるのはサーバールーム。エアコンが24時間365日フル稼働で、気温は常に25度に抑えられている部屋だ。日本国内の一般的なサーバールームと比べれば暖かい方だろうが、そんなにでかいサーバーが大量に置いてあるわけでもないし、何よりそこで人が作業することを想定しているとなれば、それ以上に寒くする必要性も必然性もない。だが、私にとってはその気温でも時折寒さを感じることがある。生来の寒がりなのである。
さて、そんな寒がりな私がその日、夕食を終えた後にいつも通り映画を見ていたときのことだ。徐々に、本当に徐々に胃のムカつきが大きくなっていく。その日は往年の名作「Back To The Future」を英語音声、英語字幕で見ていたのだが、途中から全く内容が頭に入ってこなくなる。別に吐くほどのムカつきではないのだが、胃の中に鉛でも入っているのではないかと思うような。これは何かに当たったか?と思いながら、ひとまず日本から持ってきた「新三協胃腸薬」の錠剤が入っているビンの封を開く。用量の3錠を水で流し込み、もはやDVDの内容など頭に入ってこなくなったので、PCの電源を落とし、ベッドに横になる。この時、夜の9時。
しっかり寝れば治るだろうという脳筋特有の無茶理論を展開しながら、ベッドの中で眠くなるのを待つ。しかし、待てども待てども眠気は来ず、代わりにやってくるのは胃の嘔吐感。徐々に質量を上げていく胃の中の鉛。苦しみに耐えながらベッドの中でもがく。2時間ほどベッドで横になっていただろうか、半分起きて半分寝ているような状態から、ようやく意識を手放すことに成功する。
そして日付が変わった午前2時ごろ、食べたツナサンドとカップスープを全て吐いた。
3/3(Thu)
夕食を全て吐いた私は口の中をゆすいだ後、再び布団に入る。食事を全て戻したことで胃のムカつきはなくなったのだが、吐く際に胃にかなり無理がかかったのか、今度は少し胃痛を抱えることになる。そして、吐くのと一緒に下からも水のような便が滝のようにあふれ出てくる。それにつけ加えて猛烈な寒気が私を襲う。体も猛烈に熱いのがわかる。そんな気力もなかったので測っていないのだが、体温は恐らく39度を超えていたはずだ。余りの寒気に、タオルケットに包まるようにして眠る。体の不調が眠りを妨げたため、その日は結局ほとんど寝ることが出来ずに朝を迎えることになった。
朝7時。いつも通りセットしていた目覚まし時計が鳴る。普段ならここで「もう20分・・・」と言いながらタイマーを再セットしてDive to bed againなのだが、今日はそうはいかない。重い体を起こし、部屋の扉を開けてルームメイトに体の不調を伝える。職場への連絡も忘れない。8時ごろ、ルームメイトが部屋を出た後で、自分の食事を始める。その日の食事はヨーグルトとパン、以上。かなり酷い下痢と胃腸の不調により、消化の悪いものは口には出来ない。この国で手に入るであろう消化の良いものといったら、今のところ思い浮かぶのはこのヨーグルトとパンしかなかったのだ。
ちなみにこのヨーグルト、かなり前から何世代にもわたって自家培養を繰り返してきたものなのだそうだ。他の隊員もこれを行っているらしく、牛乳さえあれば半永久的にヨーグルトを食べ続けられる。なんとありがたい話なのだろう。私もこれを後輩へ受け継いでいこう。まあ今は私がその恩恵を受けるときなのだが。
食事を終えるとお薬の時間だ。今回服用した薬は全て日本から持参したもので、ラインナップは以下の通りである。
改元・・・総合感冒薬 3錠
新三協胃腸薬・・・総合胃腸薬 3錠
ビオフェルミン・・・整腸剤 3錠
マルチビタミン&ミネラル・・・栄養剤 1錠
占めて10錠。まるで「強力わかもと」みてぇな分量だな!
ビタミン剤は1日1錠なので朝のみ、これ以外の計9錠を朝昼晩の3回服用する。薬はこれ以外にも解熱剤としてタイレノール(解熱鎮痛剤)を持ってきているのだが、これはまたの機会に取っておく。熱を測ると38度あったので解熱剤を飲んでも良かったのだろうが、風邪を引いたときの熱は必要なものだという話は有名なので、敢えて熱は高い状態をよしとする。
さて、やることをやり終えると静寂が訪れる。聞こえるのは波の音だけ。日中とはいえ、明かりを消していれば薄暗い部屋の中。胃のムカつきがほとんど収まっているので、体調は頭が熱でぼんやりとするのと若干だるい以外に問題はない。これならベッドに入ればすぐにでも眠れそうだ。ということでその日は本当に何もせず、寝ては起きてを繰り返し、起きている時間も椅子に座ってボーっとするだけの時間を過ごす。ここまで何もしなかった1日はかなり久しぶりではなかっただろうか。結果として1日で熱は下がり、体調も次の日には問題なく復活した。
ビオフェルミンの飲みすぎで便秘になった以外はなァ!
さて、結局1日で回復してしまったこの体調不良であるが、結局原因はなんだったのだろうか?こっちは風邪と決め付けているのだが、果たして本当にそうなのか。ルームメイトは同じ青年海外協力隊で看護師として来ている男性なのだが、その人が言うにも恐らく風邪であるということなので、まあそうなのだろう。要は胃腸を中心とした症状が多かったため、食べ物が原因の疾患も考えられるな、と思ったのだ。しかし、例えば病原性の大腸菌やコレラやノロだったら、間違いなくこの程度のダメージではすまなかったはずだ。この国にそういった菌が居るかどうかはわからないが、ありえない話ではないだけに今回は運が良かったと考えるべきだろう。
あとは風邪の予防だ。今回の体調不良を風邪と断定するのであれば、今後どうやって風邪を予防するかが課題となる。そもそも、なぜ風邪を引いてしまったか。恐らく考えられる原因は一つ、ビタミン不足だ。常日頃バランスの良い食事は心がけてはいるのだが、どうしたって野菜不足は避けられない。そうなると、もはや日常的にビタミンをサプリメントで補う他方法はないだろう。日本から持ってきたビタミン剤360日分が火を吹くぜ。
さて、健康第一の協力隊員ですが、皆様におかれましても健康に過ごされますようお祈り申し上げます。
2016/02/29
Simple is best
私が日本でSEをやっていたときは、とても沢山の失敗をしてきたものだ。
それこそ酷いプログラムは量産してきたし、それによって色んな人達に多大な迷惑をかけてきた。
中には今でも絶賛稼働中のものがあるかもしれない。
とある漫画の中で、とても優秀な外科医がこのような言葉を残している。
外科医は、死なせた患者の数だけ成長する
当然、医療の世界で死なせていい患者など一人として居るわけは無い。
上記の言葉を残したキャラは、この点に関しても言及している。
ならば、私はどうだろう。
量産してきたクソコードの数々。
バグは当たり前、ソースは読みづらい、汎用性も低く、ドキュメントとの整合性も取れているかどうかわからない。
そもそもドキュメントの日本語すら、なんかちょっと怪しい。
しかしそんな私でも、1年前に自分が書いたコードを見たときにいつも思うのは、
「1年前の自分を殴りたい」
だ。
よくもまあ、こんなクソみたいな仕事ができたな、と。
つまり、成果物を作ったときに感じた反省点や経験はしっかりと身についているということなのだろう。
ITエンジニアは、書いてきたクソコードの数だけ成長する
それもまた事実だ、ということだ。
さて、そんな私がキリバスの保健医療サービス省という省庁に勤め始めてそろそろ1ヶ月が経過しようとしている。
正確には少し短いが、今日で2月も終わりなので、切りよくひと月経過ということでひとつよろしく。
少し前回のエントリーから期間が開いてしまったのにはちょっとした理由があるのだが、まあPC関係のトラブルがまた少しだけあったというのと、気持ちの問題だ。
そうそう、なぜかはわからないが、壊れたと思っていた私のノートPCがなぜか復活したのだ。
壊れた理由がわからなければ復活した理由もわからない。
少なくとも、アダプタは壊れていなかったらしい。
事が起こったのは一昨日の夕方、何もすることが無くて気まぐれにノートPCの裏蓋を開けてみていたときのことである。
バッテリーを装着したままにしていた状態だったのが功を奏したのか、ふとした瞬間に電源ボタンを押してしまった時に、急にPCが起動し始めたのだ。
頭の中で「!」マークと「?」マークが連呼し、あたふたしている間にwindowsが立ち上がる。
全く意味がわからない。
結果として、現在職場にこのPCを持ち込んで仕事をすることが出来ている。
現状考えているのは、マザーボード関係の接触不良だ。
ということは、またいつこのPCが動かなくなるかわからないということだ。
まあ、別にこのPCが無い間も普通に仕事は出来ていたので問題はないのだが、ブログを書くモチベーションという点でこのPCはあった方がいいなー、と思う。
なぜかというと、職場のパソコンは直近で再度OSを再インストールして以来、英語のまま使用しているので、日本語対応をするのが面倒くさいからだ。
すなわち、また私のノートPCが壊れてしまったら、そこから先はこのブログも英語で書かざるを得なくなる。
書くぜぇ~、超英語書くぜぇ~。
話がずれてしまった、仕事の話をしようとしてたのだ。
といっても、現状私がやっている仕事にプログラム関係の仕事はほとんど無い。
ハードウェアの管理やDBのメンテナンスなど、私がこれまで余り触れてこなかった分野の仕事がほとんどだ。
なぜ私がこれをやるかというと、他に誰もやる人が居ないためである。
いや、できる人が居ない、といった方が正確か。
ただ私が今管理しているシステムは色々な方面からかなり広く認められているようで、世界銀行(WB)や世界保健機関(WHO)から訪問される方々もこのシステムのことを知っていたりする。
このシステムから得られるデータを元にして、統計速報も作成していると思われる(他に統計情報を収集できる仕組みがあるとは思えないため)。
つまり、このシステムは既にこの国にとって無くてはならないものになっていると言っても過言ではない。
私の前任に当たる方は、私に「もしあなたがこのシステムが必要ないと判断したのなら、このシステムを使わないという判断も有りだと思います」と引継ぎ資料を締めくくっていたが、とんでもない。
私の歴代の前任に当たる人達が、このシステムを作り上げた。
前々任者がシステムをイチから作り上げ、スタートアップさせた。
前任者がシステムをアップグレードし、成長軌道へ乗せた。
しかし残念ながら、これを管理する体制は整っているとは言い難いどころか、ゼロに近い。
となると、現在私が抱えている課題はまず明確だ。
それは「システム管理体制の確立」と、「システムを安定軌道へ乗せる事」である。
そのためにまず必要なのは、運用マニュアルの作成と管理要因の確保である。
さて、「運用マニュアルの作成」や「管理要因の確保」と簡単に述べたが、これを実際にやるとなると事はそう単純ではない。
なぜかというと、「日本流のやりかたをそのまま現地に持ってくるわけにはいかない」からだ。
青年海外協力隊の使命の一つに、現地の「自助努力の活性化」がある(呼び方とかは違ったかも知れない)。
すなわち、現地人が現地人の力だけで出来ることを出来るようにする、というものだ。
それは必ず持続可能なものでなければならず、現地人が途中で飽きて放り出してしまうようなものであってはならない。
過去の隊員の中にも、独りよがりの自助努力を現地に押し付け、失敗してきたケースが数多くあったと聞いている。
特に、キリバス人は「面倒くさがり」であると言われている。
キリバス人自身がそう自覚しているかは定かではないが、我々日本人からしてみたら物凄く面倒くさがりなのだそうだ。
私はまだ任地へ来てふた月ほどなのでそこまで感じることは無いが、確かにレストランで出てくる食事の味付けは皆大雑把な味付けの物が多く、簡単に作れるような物ばかりだ(美味しいものは美味しいのだが)。
さて、この「面倒くさがり」という点を管理体制に組み込むとなると、どういう可能性を考慮しなければならないか、である。
例えば、引継ぎが満足になされない。
例えば、マニュアル自体を紛失してしまう。
例えば、サーバーが壊れたら壊れっぱなしにしてしまう。
これらをいかに管理するか、管理できるような体制を作るか。
否、「管理しやすい」体制を作ることが肝要なのだろう。
何事においてもそうだと思うのだが、「手軽で簡単便利でお得」が全て満たされたコンテンツは最強だと思う。
つまりは「ちょうど良い」ということだ。
つまりは広く人々に浸透し、長く愛されるということだ。
故スティーブ・ジョブズの残した言葉にこんなものがある。
最も重要な決定とは、何をするかではなく、何をしないかを決めることだ。
この言葉を、私はこう読み替えている。
システムに重要なのは、何を作るかではなく、何をつくらないかだ。
複雑は仕組みは決して長続きはしない。
ITエンジニアとしてクソコードを書き続けてきた私が、彼の残した言葉の中で最も共感できる言葉だ。
果たして、キリバス人にとっての「手軽で簡単便利でお得」は一体どこにあるのだろうか。
2016/02/17
(^o^) < アリだー!
今回のエントリーは、苦手な人には少しつらいエントリーとなるかもしれないので、ダメだと思ったら迷わず戻るボタンを連打してください。
まあ単純に、虫に関するお話です。
皆さんにとっては幸か不幸か、写真はあまり残っていません。
ここキリバスに来てからというもの、色々なものに対してかなり耐性がついたと思う。
途上国での食事、水、現地人との触れ方。
そして何より、虫である。
元々そこまで苦手ではなかったのだが、こちらではかなりの長時間、虫やそれ以外の生物と共に生活をする。
なんせ南国。
なんせ途上国。
家の作りが甘い上に一年中虫が生息できる。
少しでも食べ残しを床に放置でもしようものなら、1時間後にはアリが大量発生する。
ただ、蚊と蝿に関しては寒い季節がないためか長寿命となることが多く、個体によっては反応がとても鈍いものがいる。
まさか蝿を手づかみで捕獲することができる日が来るとは思わなかった。
そんな南国のこの島において、私が個人的に最も気を付けなければならない生物は何かを挙げるとするならば、それは間違いなく「アリ」だ。
こいつらに比べれば、ゴキブリもネズミも可愛いものである。
基本的に私が認識しているのは、アリにも黒いものと赤いものの二種類が存在し、赤いやつは他の生物を積極的に襲う。
要は、超好戦的で攻撃的。
椅子に座ってキーボードを叩いているときに脛にチクリとした痛みが走るときは大体こいつだ。
噛むときに唾液か何かが噛み跡から侵入することもあるらしく、人によってはこれでアレルギーが出たりすることもあるらしい。
大きさ自体がそれほど大きくないので、あらゆる住居に侵入可能。
幸い私が住んでいる家には出ていない。
代わりに黒いアリが頻繁に出没するのだが、こいつらはこいつらで質が悪い。
黒いアリは生きている生物を襲うことは無いようだが、それでも大量に地面に湧いているところを発見するとゲンナリする。
この黒いアリで実は私は引越し早々大失敗を犯している。
あれは忘れもしない引越し二日目のことだ。
その前日、引越し初日の夜に窓の隙間から侵入するアリにゲンナリしたため、アリが何匹か這っている床の隅へ向けて殺虫スプレーを噴射したのである。
床にいたアリはすぐに倒れ、ピクリともしなくなる。
うん、現地で購入したモノにしては中々の威力だ。
残留成分が床にも残るらしく、後からやってくるアリも次々に殺虫剤にやられて動かなくなっていく。
まあ、普通に考えればこの時点で気付くよねっていう。
次の日、起きて部屋の隅を見てみると、なんだか昨日よりもかなり黒ずんで見える。
メガネをかけていなかったのでぼんやりと黒く見えるだけだったのだが、やはり黒い。
なんだか嫌な予感がし、メガネをかけて改めて見てみると・・・。
(^o^) < アリだー!
それも「大量」なんていう生やさしい言葉ではとても表現しきれない。
おおよそ、巣がひとつ壊滅したのではないかという数のアリが、そこにはいた。
カラクリはこうだ。
前日、殺虫スプレーを撒く前から、アリは私の部屋の何かの生物の死骸があることに気がついており、その死骸に集る準備が整っていた。
そこへ、私が殺虫スプレーを噴射、死骸に集るアリの先陣隊が全滅する。
後衛としてサポートに回る役目だったはずのアリは、予定通り時間差で現地に到着するも、戦地に撒かれた大量の毒物により二階級特進を果たす。
更に後衛のアリがやってきて、以下略
そのままにしておくという選択肢はもはやあり得ないので、仕方なくほうきとちりとりを手に作業を開始する。
しかし、いざほうきで戦士たちを掃こうとすると、その内の50%程がもぞもぞと動き出すではないか。
いやお前らまだ死んでなかったんかい!!!
どうやらあの殺虫スプレーは、即死の効果ではなく虫の神経を麻痺させることにより、結果として死に至らしめるもののようだ。
従って、彼らの中には死に至らずとも四肢の動きを奪われ、そこから脱出できずにいたものも数多く居たのだろう。
関係あるか!全員外に出ろ!
全てのアリを綺麗に掃き取り、ちりとりで掬い上げる。
でかい黒い塊が出来上がったのが、遠目からはおはぎに見えなくもない。
・・・辞めよう、おはぎが食えなくなる。
という事で教訓、殺虫剤は、気をつけて使おう。
そんなこんなで波乱の幕開けとなった新居での生活なのだが、つい昨日、さらなる驚きの展開が待っているとは予想もしていなかった。
それは、私がその日の課業をすませて帰宅し、夕食を作っていた時のことだ。
前述した通り、家の中にはアリが湧くことがあるので、食料品やゴミに関しての取り扱いには最新の注意を払う必要がある。
例えばゴミ箱。
ダンボールを2つ重ねているが、下の方は空洞となっている。
なぜ重ねているかというと、これはネズミ対策を兼ねているのだ。
ネズミはこのようにダンボールを重ねていると、上に登ることができない。
下手に地面に置いておくと、密閉されているものもネズミがかじり、内容物が露出することでその他の虫を寄せ付けてしまうのだが、それを防ぐことがこのダンボール2つ重ねの狙いだ。
そして、この対策は公を奏しているのか、ネズミによる被害はこの対策後は発生していないようである。
しかしその日、このダンボールから異常を感じることになる。
ガサガサッ
二列あるうちの右側が燃えるゴミ、左側が燃えないゴミなのだが、燃えないゴミの方からなにやら異音が聞こえてくる・・・。
あー、これは、何かがいるな。
まずは下側のチェックである。
上のダンボールをどかし、2つある土台のダンボールを恐る恐る確かめる。
何もいない・・・。
協力隊の同期隊員から「ゴキブリバスター」というありがたい異名を授けられた私でさえ、突然の出来事には多少なりとも驚く。
なので、可能であればいきなりパッっと出てくるとか、そういうのは辞めて欲しい・・・。
次に、ダンボールの中に入っているビニール袋を改める作業へ移る。
ダンボールから袋を持ち上げ、内容物とその周辺に何もない事を確認。
何だよ、何もいねえじゃんか。
ホッと一息つき、ビニール袋とダンボールを元の形へと戻し、再度調理へととりかかる。
しかし、次の瞬間。
ガサガサガサッ!!!
今度は確かに聞いたぞこの糞野郎!!!
聞こえた音から、かなりの大きさの生物がいるものと思われる。
しかし、なぜ見落とした?
わからないが、再度確認をする。
ダンボールからビニール袋を取り出し、再度確認するもやはり何もいない。
再びビニール袋をダンボールへ戻し途方にくれていると、ダンボールの隅に何かがいるのを発見してしまう。
・・・何だこいつは。
なぜだ、なぜお前がそこにいる!
(^o^) < カニだー!
いやお前マジでどっからなんの目的で
そこに入ったんだよァ?!
父さん、母さん、兄さん、キリバスでは燃えないゴミに、カニが湧きます。
真相は、知りません。
まあ単純に、虫に関するお話です。
皆さんにとっては幸か不幸か、写真はあまり残っていません。
ここキリバスに来てからというもの、色々なものに対してかなり耐性がついたと思う。
途上国での食事、水、現地人との触れ方。
そして何より、虫である。
元々そこまで苦手ではなかったのだが、こちらではかなりの長時間、虫やそれ以外の生物と共に生活をする。
なんせ南国。
なんせ途上国。
家の作りが甘い上に一年中虫が生息できる。
少しでも食べ残しを床に放置でもしようものなら、1時間後にはアリが大量発生する。
ただ、蚊と蝿に関しては寒い季節がないためか長寿命となることが多く、個体によっては反応がとても鈍いものがいる。
まさか蝿を手づかみで捕獲することができる日が来るとは思わなかった。
そんな南国のこの島において、私が個人的に最も気を付けなければならない生物は何かを挙げるとするならば、それは間違いなく「アリ」だ。
こいつらに比べれば、ゴキブリもネズミも可愛いものである。
基本的に私が認識しているのは、アリにも黒いものと赤いものの二種類が存在し、赤いやつは他の生物を積極的に襲う。
要は、超好戦的で攻撃的。
椅子に座ってキーボードを叩いているときに脛にチクリとした痛みが走るときは大体こいつだ。
噛むときに唾液か何かが噛み跡から侵入することもあるらしく、人によってはこれでアレルギーが出たりすることもあるらしい。
大きさ自体がそれほど大きくないので、あらゆる住居に侵入可能。
幸い私が住んでいる家には出ていない。
代わりに黒いアリが頻繁に出没するのだが、こいつらはこいつらで質が悪い。
黒いアリは生きている生物を襲うことは無いようだが、それでも大量に地面に湧いているところを発見するとゲンナリする。
この黒いアリで実は私は引越し早々大失敗を犯している。
あれは忘れもしない引越し二日目のことだ。
その前日、引越し初日の夜に窓の隙間から侵入するアリにゲンナリしたため、アリが何匹か這っている床の隅へ向けて殺虫スプレーを噴射したのである。
床にいたアリはすぐに倒れ、ピクリともしなくなる。
うん、現地で購入したモノにしては中々の威力だ。
残留成分が床にも残るらしく、後からやってくるアリも次々に殺虫剤にやられて動かなくなっていく。
まあ、普通に考えればこの時点で気付くよねっていう。
次の日、起きて部屋の隅を見てみると、なんだか昨日よりもかなり黒ずんで見える。
メガネをかけていなかったのでぼんやりと黒く見えるだけだったのだが、やはり黒い。
なんだか嫌な予感がし、メガネをかけて改めて見てみると・・・。
(^o^) < アリだー!
それも「大量」なんていう生やさしい言葉ではとても表現しきれない。
おおよそ、巣がひとつ壊滅したのではないかという数のアリが、そこにはいた。
カラクリはこうだ。
前日、殺虫スプレーを撒く前から、アリは私の部屋の何かの生物の死骸があることに気がついており、その死骸に集る準備が整っていた。
そこへ、私が殺虫スプレーを噴射、死骸に集るアリの先陣隊が全滅する。
後衛としてサポートに回る役目だったはずのアリは、予定通り時間差で現地に到着するも、戦地に撒かれた大量の毒物により二階級特進を果たす。
更に後衛のアリがやってきて、以下略
そのままにしておくという選択肢はもはやあり得ないので、仕方なくほうきとちりとりを手に作業を開始する。
しかし、いざほうきで戦士たちを掃こうとすると、その内の50%程がもぞもぞと動き出すではないか。
いやお前らまだ死んでなかったんかい!!!
どうやらあの殺虫スプレーは、即死の効果ではなく虫の神経を麻痺させることにより、結果として死に至らしめるもののようだ。
従って、彼らの中には死に至らずとも四肢の動きを奪われ、そこから脱出できずにいたものも数多く居たのだろう。
関係あるか!全員外に出ろ!
全てのアリを綺麗に掃き取り、ちりとりで掬い上げる。
でかい黒い塊が出来上がったのが、遠目からはおはぎに見えなくもない。
・・・辞めよう、おはぎが食えなくなる。
という事で教訓、殺虫剤は、気をつけて使おう。
そんなこんなで波乱の幕開けとなった新居での生活なのだが、つい昨日、さらなる驚きの展開が待っているとは予想もしていなかった。
それは、私がその日の課業をすませて帰宅し、夕食を作っていた時のことだ。
前述した通り、家の中にはアリが湧くことがあるので、食料品やゴミに関しての取り扱いには最新の注意を払う必要がある。
例えばゴミ箱。

ダンボールを2つ重ねているが、下の方は空洞となっている。
なぜ重ねているかというと、これはネズミ対策を兼ねているのだ。
ネズミはこのようにダンボールを重ねていると、上に登ることができない。
下手に地面に置いておくと、密閉されているものもネズミがかじり、内容物が露出することでその他の虫を寄せ付けてしまうのだが、それを防ぐことがこのダンボール2つ重ねの狙いだ。
そして、この対策は公を奏しているのか、ネズミによる被害はこの対策後は発生していないようである。
しかしその日、このダンボールから異常を感じることになる。
ガサガサッ
二列あるうちの右側が燃えるゴミ、左側が燃えないゴミなのだが、燃えないゴミの方からなにやら異音が聞こえてくる・・・。
あー、これは、何かがいるな。
まずは下側のチェックである。
上のダンボールをどかし、2つある土台のダンボールを恐る恐る確かめる。
何もいない・・・。
協力隊の同期隊員から「ゴキブリバスター」というありがたい異名を授けられた私でさえ、突然の出来事には多少なりとも驚く。
なので、可能であればいきなりパッっと出てくるとか、そういうのは辞めて欲しい・・・。
次に、ダンボールの中に入っているビニール袋を改める作業へ移る。
ダンボールから袋を持ち上げ、内容物とその周辺に何もない事を確認。
何だよ、何もいねえじゃんか。
ホッと一息つき、ビニール袋とダンボールを元の形へと戻し、再度調理へととりかかる。
しかし、次の瞬間。
ガサガサガサッ!!!
今度は確かに聞いたぞこの糞野郎!!!
聞こえた音から、かなりの大きさの生物がいるものと思われる。
しかし、なぜ見落とした?
わからないが、再度確認をする。
ダンボールからビニール袋を取り出し、再度確認するもやはり何もいない。
再びビニール袋をダンボールへ戻し途方にくれていると、ダンボールの隅に何かがいるのを発見してしまう。
・・・何だこいつは。
なぜだ、なぜお前がそこにいる!
(^o^) < カニだー!
いやお前マジでどっからなんの目的で
そこに入ったんだよァ?!
父さん、母さん、兄さん、キリバスでは燃えないゴミに、カニが湧きます。
真相は、知りません。
2016/02/11
PCを永眠させるという異名
先週から新居へ引越しをし、新しい生活がスタートしている。新居は2DKのとても広い家だ。
同じボランティアとして病院に務めている男性看護師の青野氏と同居となる。
私の前任であった方とも同居していたという事で、すでに家の中には生活に全く不自由しないほど家具やその他一式が揃い踏みであった。
青野氏はとても料理好きという事があり、これまで色々な食事を作ってくれているのだが、いつまでもそれに頼りっきりというのもまずいので、少しずつ覚えていこう。
リビングめちゃ広い!!!!!!!
さて、新しい生活がスタートしてから早速トラブルが一件発生している。
それは、日本から持ってきたノートパソコンが早速故障してしまったのだ。
電源ボタンをいくら押してもウンともスンとも言わなくなってしまっただけでなく、電源プラグを差し込んでも充電が開始しなくなってしまった。
恐らく電源の問題なのだろうと思ったので、まずは電源アダプターをテスターで調べる。
もしアダプターが生きていれば20Vと表示されるはずだ。
結果、表示されたのは「0V」。
よし、死んでるな。
アダプターが死んでいることがわかれば、パソコン本体の方は生きていることがわかるので、アダプターさえ別のものが手に入ればそのままそのパソコンは使えることになる。
しかしそこからがまた一つ問題で、どうやってこの国でアダプターを手に入れるのか、という事だ。
圧倒的に物資が少ないと言われているこの国においては、パソコン1台すら入手するのは困難だ。
いや、確かに手には入るが、日本で買って空輸したほうがはるかに高性能で安いパソコンが手に入る。
そんな所で、ましてやアダプターだけなんて、手に入るわけがない。
そう思い、長時間かけて探す覚悟を決めながら国内有数の大型スーパーにバスで片道1時間の道のりを終業後に向かう。
まさか手に入るわけないよなー、と思いながらも、家電製品のようなものが売っているらしき一角を見つけ、そこのカウンターのお姉さんにたどたどしい英語で話しかける。
「あー、Do you have an adopter for laptop computer?」
「Yes, here you are」
あんのかよ!!!!!!
実際に出てきたものを見ても、たしかにアダプターだ。
とはいえ、色々なメーカーのものに対応できるようアタッチメントがついており、それを差し込むと自動でアウトプットの電圧も変化する仕組みだ。
これは凄いと思い迷わず購入。
そして意気揚々と片道1時間の道のりをバスで帰り、帰宅後すぐにパソコンへ接続してみる。
しかし、立ち上がらないPC。
なんでだよ!!!!!!
もうわけわからん。
電源アダプターが死んでいたのは確かなのだが、同時に複数箇所が壊れるなんて言うこともあるのだろうか?
例えば過電圧などで壊れたのだとしても、電源アダプターが緩衝材になって本体への影響は少なくて済むという印象だったのだが、そうでもないようだ。
という事でPCは完全にお釈迦となりました。
2万円くらいで買ったやつなのでそんなにショックではなかったのですが、半年くらいしか使ってないことを考えるともうちょっと長持ちして欲しかったなー。
さて、仕事が始まる前に早速1台PCをぶっ潰したわけですが、仕事始めも割と波乱の幕開けとなりました。
今週からようやく、ようやく保健医療サービス省での勤務が始まり、現在は状況のキャッチアップを行なっている。
そんな勤務地では前任の方が残してくれた引継ぎ資料(DVD-ROM)や各種専門書、JOCV専用PC(windowsXP)があり、ありがたく使わせてもらっている。
そんなPCなのだが、初日、使っている最中に突然画面が止まったかと思うとPC内部から何かが引っかかっているかのような異音が発生。
原因はHDDドライブの故障。
その中には、前任者が残してくれていたと思われる資料も入っていたはず。
なんてこったと内心焦りながらも、カウンターパート(現地の同僚)には「OK,OK,no problem !」と言い、別のHDDが机に入っていたのでそれに取り替える。
幸い使えるHDDだったようなので現在それを使い、フリーのOSであるLinuxのUBUNTUを導入した。
どうにかこうにか色々といじくっているうちにようやく日本語が使えるようになり、今に至る。
ちなみに、私の机の中にはすでにぶっ壊れ済みのHDDが5台ほど入っている。
その中には、「これならどうだ」とカウンターパートが持ってきてくれて試したHDDが3台ほどある。
これほどまでに壊れやすいのか・・・。
この国は機械に優しくない国であるとは前々から聞いていた。
試しにテスターを電源に直で差し込んでみたところ、表示された電圧はなんと300V。
240Vを大きく上回る電圧だ。
この国では停電がよく起こると言われ、そういう意味では電気が不安定なのはまあ頷ける。
まさか電圧自体がアップダウンするとは予想もしていなかった。
確かに、発電機の質が良くなければ生み出される電気の電圧も一定である保証はどこにもない。
そしてそんな電圧で電気製品を使用していれば、消耗は早い。
こんな所にまで、途上国クオリティが存在するとは。
それ以外にも壊れる原因となるのが「埃」だ。
珊瑚礁からなるこの島はその土壌の全てが珊瑚礁で形成される。
珊瑚礁から生み出される砂は、時にとても細かい粒子となり、空気中を舞う。
そしてどういう侵入経路で入り込むかわからないが、いつの間にかPC内部の精密な箇所へ入り込んだ後にPCを内部から破壊するのだ。
特にHDDやCDドライブのような物理的な動作があるものは壊れやすいと言えるだろう。
さて、そんなこんなで今のところ私はずっとフリーソフトで活動しています。
いやまあ、意外といけるもんだなというのがもっぱらの感想です。
果たしてこのあとどうなるかわかりませんが。
とりあえず、プライベートの暇つぶし用に一つPCどこかで買おうと思います。
そうそう、私のニックネームは「MATI(マシ)」か「MATU(マス)」になりました。
とりあえず初対面の人にはもれなく「Please call me friendly, MATI」と言っているのだが、カウンターパートだけなぜか私をMATUと呼ぶ。
確かにキリバス語にはそれに対応する単語があるので覚えやすいのは確かだ。
ちなみにMATUの意味はキリバス語で「眠る」である。
この場合意味しているのは、単純私が寝るということなのか、はたまたPCを永眠させるということなのか・・・。
同じボランティアとして病院に務めている男性看護師の青野氏と同居となる。
私の前任であった方とも同居していたという事で、すでに家の中には生活に全く不自由しないほど家具やその他一式が揃い踏みであった。
青野氏はとても料理好きという事があり、これまで色々な食事を作ってくれているのだが、いつまでもそれに頼りっきりというのもまずいので、少しずつ覚えていこう。
リビングめちゃ広い!!!!!!!
さて、新しい生活がスタートしてから早速トラブルが一件発生している。
それは、日本から持ってきたノートパソコンが早速故障してしまったのだ。
電源ボタンをいくら押してもウンともスンとも言わなくなってしまっただけでなく、電源プラグを差し込んでも充電が開始しなくなってしまった。
恐らく電源の問題なのだろうと思ったので、まずは電源アダプターをテスターで調べる。
もしアダプターが生きていれば20Vと表示されるはずだ。
結果、表示されたのは「0V」。
よし、死んでるな。
アダプターが死んでいることがわかれば、パソコン本体の方は生きていることがわかるので、アダプターさえ別のものが手に入ればそのままそのパソコンは使えることになる。
しかしそこからがまた一つ問題で、どうやってこの国でアダプターを手に入れるのか、という事だ。
圧倒的に物資が少ないと言われているこの国においては、パソコン1台すら入手するのは困難だ。
いや、確かに手には入るが、日本で買って空輸したほうがはるかに高性能で安いパソコンが手に入る。
そんな所で、ましてやアダプターだけなんて、手に入るわけがない。
そう思い、長時間かけて探す覚悟を決めながら国内有数の大型スーパーにバスで片道1時間の道のりを終業後に向かう。
まさか手に入るわけないよなー、と思いながらも、家電製品のようなものが売っているらしき一角を見つけ、そこのカウンターのお姉さんにたどたどしい英語で話しかける。
「あー、Do you have an adopter for laptop computer?」
「Yes, here you are」
あんのかよ!!!!!!
実際に出てきたものを見ても、たしかにアダプターだ。
とはいえ、色々なメーカーのものに対応できるようアタッチメントがついており、それを差し込むと自動でアウトプットの電圧も変化する仕組みだ。
これは凄いと思い迷わず購入。
そして意気揚々と片道1時間の道のりをバスで帰り、帰宅後すぐにパソコンへ接続してみる。
しかし、立ち上がらないPC。
なんでだよ!!!!!!
もうわけわからん。
電源アダプターが死んでいたのは確かなのだが、同時に複数箇所が壊れるなんて言うこともあるのだろうか?
例えば過電圧などで壊れたのだとしても、電源アダプターが緩衝材になって本体への影響は少なくて済むという印象だったのだが、そうでもないようだ。
という事でPCは完全にお釈迦となりました。
2万円くらいで買ったやつなのでそんなにショックではなかったのですが、半年くらいしか使ってないことを考えるともうちょっと長持ちして欲しかったなー。
さて、仕事が始まる前に早速1台PCをぶっ潰したわけですが、仕事始めも割と波乱の幕開けとなりました。
今週からようやく、ようやく保健医療サービス省での勤務が始まり、現在は状況のキャッチアップを行なっている。
そんな勤務地では前任の方が残してくれた引継ぎ資料(DVD-ROM)や各種専門書、JOCV専用PC(windowsXP)があり、ありがたく使わせてもらっている。
そんなPCなのだが、初日、使っている最中に突然画面が止まったかと思うとPC内部から何かが引っかかっているかのような異音が発生。
原因はHDDドライブの故障。
その中には、前任者が残してくれていたと思われる資料も入っていたはず。
なんてこったと内心焦りながらも、カウンターパート(現地の同僚)には「OK,OK,no problem !」と言い、別のHDDが机に入っていたのでそれに取り替える。
幸い使えるHDDだったようなので現在それを使い、フリーのOSであるLinuxのUBUNTUを導入した。
どうにかこうにか色々といじくっているうちにようやく日本語が使えるようになり、今に至る。
ちなみに、私の机の中にはすでにぶっ壊れ済みのHDDが5台ほど入っている。
その中には、「これならどうだ」とカウンターパートが持ってきてくれて試したHDDが3台ほどある。
これほどまでに壊れやすいのか・・・。
この国は機械に優しくない国であるとは前々から聞いていた。
試しにテスターを電源に直で差し込んでみたところ、表示された電圧はなんと300V。
240Vを大きく上回る電圧だ。
この国では停電がよく起こると言われ、そういう意味では電気が不安定なのはまあ頷ける。
まさか電圧自体がアップダウンするとは予想もしていなかった。
確かに、発電機の質が良くなければ生み出される電気の電圧も一定である保証はどこにもない。
そしてそんな電圧で電気製品を使用していれば、消耗は早い。
こんな所にまで、途上国クオリティが存在するとは。
それ以外にも壊れる原因となるのが「埃」だ。
珊瑚礁からなるこの島はその土壌の全てが珊瑚礁で形成される。
珊瑚礁から生み出される砂は、時にとても細かい粒子となり、空気中を舞う。
そしてどういう侵入経路で入り込むかわからないが、いつの間にかPC内部の精密な箇所へ入り込んだ後にPCを内部から破壊するのだ。
特にHDDやCDドライブのような物理的な動作があるものは壊れやすいと言えるだろう。
さて、そんなこんなで今のところ私はずっとフリーソフトで活動しています。
いやまあ、意外といけるもんだなというのがもっぱらの感想です。
果たしてこのあとどうなるかわかりませんが。
とりあえず、プライベートの暇つぶし用に一つPCどこかで買おうと思います。
そうそう、私のニックネームは「MATI(マシ)」か「MATU(マス)」になりました。
とりあえず初対面の人にはもれなく「Please call me friendly, MATI」と言っているのだが、カウンターパートだけなぜか私をMATUと呼ぶ。
確かにキリバス語にはそれに対応する単語があるので覚えやすいのは確かだ。
ちなみにMATUの意味はキリバス語で「眠る」である。
この場合意味しているのは、単純私が寝るということなのか、はたまたPCを永眠させるということなのか・・・。
2016/02/03
かつて見たあの地へ
一瞬、何が起こったのかわからなかった。
ちゃんと軒下をくぐったと思い、頭を上げた瞬間に訪れた不意の衝撃。
一呼吸おいてから来る激痛に、ようやく私が何かに頭をぶつけたのだと理解が追いつき、苦痛に顔が歪む。
よほど凄まじい音がしたのか、それとも私の苦痛に歪む顔がよほど痛そうに見えたのか、ホストファミリーの面々が心配そうに頭のコブを触ってくる。
や、大丈夫、大丈夫ですから、そんなに心配しないで、すっげぇ痛かったけど。
私が頭をぶつけたのは、マネアバと呼ばれる集会所のようなものの屋根の縁だ。
マネアバとは各一族に一つずつほど存在する広場のようなもので、何か催しごとがあるたびにそこでパーティを開いたりする。
そして、このマネアバというものは、意図的に屋根が低く作られている。
その高さは、身長167cmの私ですら少しかがまなければ中に入れないほど低い。
なぜそんなに低く作られているのか?
理由は、入る際に必ず頭を下げなければ入れないようにするためだ。
ある種、神聖な場所ともされている。
ボクサーがリングに上がる際に一礼をささげるように、空手家が試合場へ上がる際に一礼をささげるように、マネアバに入る際にその場所そのもの、もしくは代々受け継がれているということなどに対して敬意を表する。
きっとそういう意味が込められているのだろう。
現地人でも、良く頭をぶつけるらしい。
ちなみに私は初日のうちに二回ぶつけました。

まねあば
さて、そんな波乱の幕開けとなったキリバスにおけるホームステイは、とても有意義な話の連続であった。
基本的にはこれでもかというくらいおもてなしをしてもらえたのだが、中でもホストファミリーのご主人とかなり長い時間話をさせてもらうことが出来た。
私がお世話になったファミリーの構成は、その家族だけで考えれば5人。
主人、奥さん、女子学生が3人の5人家族だ。
この家族を一言で表すなら「スマート」に尽きる。
主人をはじめとして、皆聡明な人達ばかりだ。
主人は現在50過ぎで、既に定年退職されている(キリバス国における定年は50とかそこらへんらしい)。
退職前の職業は携帯電話会社のテクニカルエンジニアだ。
しかし、ただエンジニアといっても、彼は本当に色々なことに思考を巡らせている。
世界情勢、宗教、最新技術、キリバスの行く末などなど。
週に一度、土曜日に教会で開かれているという宗教などに関する討論集会にも連れて行ってもらった。
なお、ここキリバスにおける宗教はキリスト教でプロテスタントとクリスチャンが半々ほど。
プロテスタントが金曜日に礼拝をするということで、集会の前日にも礼拝を見に連れて行ってもらっている。
礼拝の途中、参加者がチラチラとこちらを見てくるのが気になっていたら、牧師さんが私のことを紹介していたらしい。
「He said about you.」
「Me?!」
軽くびびる私。
さて、土曜の集会に集まったのは、老若男女併せて20名ほど。
一つ一つのコミュニティ自体がそこまで大きくないことを考えると中々の参加率である。
国の大きさが違えど、その中でも考える人は色々と考えている。
残念ながらキリバス語が堪能でない私はその集会を見るだけで終わってしまったが、いずれ英語ででもなんかしら意見の一つくらいは言えるようになりたいものである。
さて、それ以外に関しては割りとのんびりさせてもらっていた1日目と2日目だが、3日目に更なるイベントが待ち受けているとは知る由もなかった。
そのイベントとは、なんとピクニック。
え、ここの人らピクニックなんてすんの?と思っていたら、なんと里帰りなのだという。
いやいや、里帰りにポッと出の異界人連れて行って良いのか?!
後から考えると、とても凄まじい経験をしていたのだと実感する。
でも、ホストファミリーの娘さんの友人さんとかも一緒に来ていたみたいだし、まあ良いのだろうか・・・。
行き先はノースタラワ。ホストファミリーの奥さんの親戚がそのあたりなのだという。
トランスポーター(軽トラ)をチャーターし、家族とその一族、友人たちを丸ごと乗っけていく。
トラックの荷台に15人くらい乗っかってます。皆言い笑顔。私も良い笑顔をするようになったもんだ
そして実際にその地へ行ってみると、驚きの光景が広がっていた。
去年の暮れ、2015年12月ごろに放映されたテレビの中に、世界の絶景にある家という名目でこのキリバスの家が紹介されたことがある。
その家はまさに海の上に存在する家で、伝統的な作りが今に生きるものだ。
その家の一つに、なんと今回案内してもらうことができた(いくつか家が建っていたので、案内してもらった家がテレビで紹介されたものであるかは定かではない)。
案内してくれたのはホストファミリーの娘さんの一人。
きりっとした目が主人に似た、とても綺麗な娘だ。
その家の家長である大婆様が、なんとその娘の叔母に当たるという。
いや、どう見ても3,40歳は離れてるけど君ら。
んで、叔母って言うことは奥さんのお姉さんにでもあたるのだろうか。
その大婆様が、一枚の写真を取り出して見せてくれた。
そこには、大婆様と並んで写っている日本人と思われる人達の姿が。
案内してくれた娘さん曰く、日本のテレビクルーだというが、まさかな・・・。
また、その大婆様とは別の、奥さんのご兄弟の方にも住居周辺を案内してもらう。
周囲には伝統的なココナッツの木で作られた家々が立ち並ぶ。
その中の一つに小学校があったのだが、なんとそれすら伝統作りのものだ。
そこにいる子供たちは元気いっぱいだ。
歩いていると幼稚園から小学校低学年くらいの子供たちが物珍しそうな感じで後を付いてくる。
ちなみに私が集落を訪れた日は冬休みの最終日なので、子供たちも外で遊んでいた。
中には抱きついてくる子供すら居たのが、君ら少しは異界人に警戒心持とうよ。
その子供たちを見ていると、この国が世界の中でも最も貧しいとされている国の一つであるということを忘れてしまう。
この国には、少なくとも子供たちには笑顔が溢れている。
ただの一人として、貧困にあえぐ人の姿を見たことがない。
しかし、一見綺麗に見える水の中にも細菌が潜んでいることがあるように、目に見えない深刻な問題は潜んでいるものだ。
これに関してはほぼ確実に後述することになるだろうが、改めて、国が違えば国際協力のあり方も変わってくるのだと実感させられる。
あらかた近所を回り終えると食事の時間だ。
これもやはり伝統的なスタイルの食事が出てきたのだが、一つ違うのは輸入物の鶏肉が出てきたということ。
しかも、これの調理方法は完全にバーベキューだ。
ただ燃料はココナッツの繊維とか、引っぺがした葉っぱとかです。
しかし、食卓の大きさを見ると、明らかにその人数を収容できる大きさではない。
見ると、若い面々は別のところに集まってワイワイと話をしたりしているようだった。
要は、時間差で食事をするということなのだろう。
先に食事をするのは家長や年齢の高い人達、そしてゲストだ。
私よりもふた周りは上であると思われる方々と一緒に食事をすることになる。
ただ、その際に家長が代表して祈りをささげた。
「Thank you God for the food, the name of Jesus, Amen」(最短縮形、実際はもっと長い)
ここにもキリスト教という宗教が色濃く影響しているといえる。

いやこれマジ全部美味しかったからホント
私といえば、祈りが終わって皆が食べ始めるのをよそに「頂きます」をする。
その日本式の挨拶が気になったのか、今のは何だと皆から聞かれたので、皆に「いただきます」、「ごちそうさまでした」と、その意味を教える。
彼らに教えたそれらの意味はもちろん、「食べ物、それを作る人、それを育む大地、気候、全てのものへの感謝」だ。
中にはなんと少し日本語を覚えていらっしゃる方も居たようで、「アリガトウ!」と連呼していた。
それだけのことで、なんとなく嬉しくなってしまう。
そう、やはりコミュニケーションの基本は現地語なのだ。
きっと、彼らも同じなのだ。
我々が現地語を使えば、彼らも「お、こいつはちょっと他の国のやつらとは違うぞ?」と喜んでくれる。
そうやって、少しでも心を開いてくれるのであれば、私は喜んで現地語を覚えよう。
コ ラパ(ありがとう)。
外を見ると、まさにテレビで見たような光景が広がっている。
そのテレビを見たとき一言「俺は、こんなところへ行くのか・・・」と漏らしていた。
その、かつて見たあの地へ、私は今立っている。
それだけのことで、なんだか不思議な感覚に襲われる。
そんなこんなで、私の3日間はあっという間に過ぎ去っていった。
4日目の朝、迎えが来て、別れ際に主人が私に言う。
「また来てくれ、我々はいつでもお前を待っている」
父さん、母さん、兄さん、日本から遠く離れた地に家族が出来ました。
PS: 折り紙は特にお花がとても喜ばれます。
例えばこんなの
ちゃんと軒下をくぐったと思い、頭を上げた瞬間に訪れた不意の衝撃。
一呼吸おいてから来る激痛に、ようやく私が何かに頭をぶつけたのだと理解が追いつき、苦痛に顔が歪む。
よほど凄まじい音がしたのか、それとも私の苦痛に歪む顔がよほど痛そうに見えたのか、ホストファミリーの面々が心配そうに頭のコブを触ってくる。
や、大丈夫、大丈夫ですから、そんなに心配しないで、すっげぇ痛かったけど。
私が頭をぶつけたのは、マネアバと呼ばれる集会所のようなものの屋根の縁だ。
マネアバとは各一族に一つずつほど存在する広場のようなもので、何か催しごとがあるたびにそこでパーティを開いたりする。
そして、このマネアバというものは、意図的に屋根が低く作られている。
その高さは、身長167cmの私ですら少しかがまなければ中に入れないほど低い。
なぜそんなに低く作られているのか?
理由は、入る際に必ず頭を下げなければ入れないようにするためだ。
ある種、神聖な場所ともされている。
ボクサーがリングに上がる際に一礼をささげるように、空手家が試合場へ上がる際に一礼をささげるように、マネアバに入る際にその場所そのもの、もしくは代々受け継がれているということなどに対して敬意を表する。
きっとそういう意味が込められているのだろう。
現地人でも、良く頭をぶつけるらしい。
ちなみに私は初日のうちに二回ぶつけました。
まねあば
さて、そんな波乱の幕開けとなったキリバスにおけるホームステイは、とても有意義な話の連続であった。
基本的にはこれでもかというくらいおもてなしをしてもらえたのだが、中でもホストファミリーのご主人とかなり長い時間話をさせてもらうことが出来た。
私がお世話になったファミリーの構成は、その家族だけで考えれば5人。
主人、奥さん、女子学生が3人の5人家族だ。
この家族を一言で表すなら「スマート」に尽きる。
主人をはじめとして、皆聡明な人達ばかりだ。
主人は現在50過ぎで、既に定年退職されている(キリバス国における定年は50とかそこらへんらしい)。
退職前の職業は携帯電話会社のテクニカルエンジニアだ。
しかし、ただエンジニアといっても、彼は本当に色々なことに思考を巡らせている。
世界情勢、宗教、最新技術、キリバスの行く末などなど。
週に一度、土曜日に教会で開かれているという宗教などに関する討論集会にも連れて行ってもらった。
なお、ここキリバスにおける宗教はキリスト教でプロテスタントとクリスチャンが半々ほど。
プロテスタントが金曜日に礼拝をするということで、集会の前日にも礼拝を見に連れて行ってもらっている。
礼拝の途中、参加者がチラチラとこちらを見てくるのが気になっていたら、牧師さんが私のことを紹介していたらしい。
「He said about you.」
「Me?!」
軽くびびる私。
さて、土曜の集会に集まったのは、老若男女併せて20名ほど。
一つ一つのコミュニティ自体がそこまで大きくないことを考えると中々の参加率である。
国の大きさが違えど、その中でも考える人は色々と考えている。
残念ながらキリバス語が堪能でない私はその集会を見るだけで終わってしまったが、いずれ英語ででもなんかしら意見の一つくらいは言えるようになりたいものである。
さて、それ以外に関しては割りとのんびりさせてもらっていた1日目と2日目だが、3日目に更なるイベントが待ち受けているとは知る由もなかった。
そのイベントとは、なんとピクニック。
え、ここの人らピクニックなんてすんの?と思っていたら、なんと里帰りなのだという。
いやいや、里帰りにポッと出の異界人連れて行って良いのか?!
後から考えると、とても凄まじい経験をしていたのだと実感する。
でも、ホストファミリーの娘さんの友人さんとかも一緒に来ていたみたいだし、まあ良いのだろうか・・・。
行き先はノースタラワ。ホストファミリーの奥さんの親戚がそのあたりなのだという。
トランスポーター(軽トラ)をチャーターし、家族とその一族、友人たちを丸ごと乗っけていく。
トラックの荷台に15人くらい乗っかってます。皆言い笑顔。私も良い笑顔をするようになったもんだ
そして実際にその地へ行ってみると、驚きの光景が広がっていた。
去年の暮れ、2015年12月ごろに放映されたテレビの中に、世界の絶景にある家という名目でこのキリバスの家が紹介されたことがある。
その家はまさに海の上に存在する家で、伝統的な作りが今に生きるものだ。
その家の一つに、なんと今回案内してもらうことができた(いくつか家が建っていたので、案内してもらった家がテレビで紹介されたものであるかは定かではない)。
案内してくれたのはホストファミリーの娘さんの一人。
きりっとした目が主人に似た、とても綺麗な娘だ。
その家の家長である大婆様が、なんとその娘の叔母に当たるという。
いや、どう見ても3,40歳は離れてるけど君ら。
んで、叔母って言うことは奥さんのお姉さんにでもあたるのだろうか。
その大婆様が、一枚の写真を取り出して見せてくれた。
そこには、大婆様と並んで写っている日本人と思われる人達の姿が。
案内してくれた娘さん曰く、日本のテレビクルーだというが、まさかな・・・。
え、これ入って良いの?ホントに良いの?!
潮が満ちるとここら辺まで波がきます
周囲には伝統的なココナッツの木で作られた家々が立ち並ぶ。
その中の一つに小学校があったのだが、なんとそれすら伝統作りのものだ。
すげえ、ホントにPrimary Schoolって書いてある
歩いていると幼稚園から小学校低学年くらいの子供たちが物珍しそうな感じで後を付いてくる。
ちなみに私が集落を訪れた日は冬休みの最終日なので、子供たちも外で遊んでいた。
中には抱きついてくる子供すら居たのが、君ら少しは異界人に警戒心持とうよ。
その子供たちを見ていると、この国が世界の中でも最も貧しいとされている国の一つであるということを忘れてしまう。
この国には、少なくとも子供たちには笑顔が溢れている。
ただの一人として、貧困にあえぐ人の姿を見たことがない。
しかし、一見綺麗に見える水の中にも細菌が潜んでいることがあるように、目に見えない深刻な問題は潜んでいるものだ。
これに関してはほぼ確実に後述することになるだろうが、改めて、国が違えば国際協力のあり方も変わってくるのだと実感させられる。
壁ない
絨毯も伝統的な作りのものです。これはココナッツの葉で作られたものではないようです
これもやはり伝統的なスタイルの食事が出てきたのだが、一つ違うのは輸入物の鶏肉が出てきたということ。
しかも、これの調理方法は完全にバーベキューだ。
ただ燃料はココナッツの繊維とか、引っぺがした葉っぱとかです。
しかし、食卓の大きさを見ると、明らかにその人数を収容できる大きさではない。
見ると、若い面々は別のところに集まってワイワイと話をしたりしているようだった。
要は、時間差で食事をするということなのだろう。
先に食事をするのは家長や年齢の高い人達、そしてゲストだ。
私よりもふた周りは上であると思われる方々と一緒に食事をすることになる。
ただ、その際に家長が代表して祈りをささげた。
「Thank you God for the food, the name of Jesus, Amen」(最短縮形、実際はもっと長い)
ここにもキリスト教という宗教が色濃く影響しているといえる。
いやこれマジ全部美味しかったからホント
私といえば、祈りが終わって皆が食べ始めるのをよそに「頂きます」をする。
その日本式の挨拶が気になったのか、今のは何だと皆から聞かれたので、皆に「いただきます」、「ごちそうさまでした」と、その意味を教える。
彼らに教えたそれらの意味はもちろん、「食べ物、それを作る人、それを育む大地、気候、全てのものへの感謝」だ。
中にはなんと少し日本語を覚えていらっしゃる方も居たようで、「アリガトウ!」と連呼していた。
それだけのことで、なんとなく嬉しくなってしまう。
そう、やはりコミュニケーションの基本は現地語なのだ。
きっと、彼らも同じなのだ。
我々が現地語を使えば、彼らも「お、こいつはちょっと他の国のやつらとは違うぞ?」と喜んでくれる。
そうやって、少しでも心を開いてくれるのであれば、私は喜んで現地語を覚えよう。
コ ラパ(ありがとう)。
外を見ると、まさにテレビで見たような光景が広がっている。
そのテレビを見たとき一言「俺は、こんなところへ行くのか・・・」と漏らしていた。
その、かつて見たあの地へ、私は今立っている。
それだけのことで、なんだか不思議な感覚に襲われる。
この感覚に名前をつけるとしたら、どんな名前になるのだろう。「感慨」?「哀愁」?
そんなこんなで、私の3日間はあっという間に過ぎ去っていった。
4日目の朝、迎えが来て、別れ際に主人が私に言う。
「また来てくれ、我々はいつでもお前を待っている」
父さん、母さん、兄さん、日本から遠く離れた地に家族が出来ました。
PS: 折り紙は特にお花がとても喜ばれます。
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