実家への私の荷物の移動が完了すると、実家での生活が始まる。
それまでやっていた家事をほとんどやってもらう形になるので、家に居ても勉強以外は本当にすることがなくなってしまった。
一人暮らしをしていれば、何もすることがないといっても生活するための最低限の活動は必要だった。
このままではいかん、絶対にだらける、そう思いながらも、食っちゃ寝の生活が始まることになってしまう。
必要な資料の提出も割りと早い段階で完了してしまった。
実家での生活が始まってほどなくして、英語のeラーニングとジェンダー教育ができるようになったとJICAから連絡が入る。
すぐにeラーニングのサイトへアクセスし、学習を開始する。
内容は、よく使う単語と日常会話、中学までで習うような文法のおさらいであった。
多少の知識のプラスにはなったものの、かなり基本的な内容だったということもあり、こちらも3日で合格点を出すことになる。
後から調べてみれば、このeラーニングは英語の語学力が「Dランク(TOEIC330点~500点)」の人のみを対象として課せられていたようだ。
そりゃあ内容も基本的なものになるよね。
あれ、これひょっとして行けるんじゃね?
などと、軽々と合格点を出すことができたことが、この心の油断を生んでしまった。
元SIer社員の俺の経験からみて、
今の俺に足りないものがある。
おまえ もしかしてまだ
自分が死なないとでも思ってるんじゃないかね?
人は意外と簡単に死ぬ。
失敗するときも、本当に簡単な理由で失敗してしまう。
危機管理の甘さ、どこに居たって、何をしていたって、それが招くのは敗北だ。
その程度の英語力で、本当に満足して良いのかね?
そんなこんなで、だらけきっている今の状況に追いついたわけである。
このままだと、本当に訓練所にすら入れなくなってしまう可能性がある。
実は既に気を引き締め始めているところです。
流れに乗ってさえしまえばこっちのものなので、何とか生活のペースに勉強時間をうまく組み込めるよう精進してまいりたいと思います。
さて私の今後の予定は、
9月中に技術補完研修が約二週間分、
10月の中旬から12月の中旬までが派遣前訓練となる。
直近に控えている技術補完研修は、職種によっては無かったりするものもあるようだ。
コンピュータ技術の場合、ネットワーク、ハードウェア、ITに関する総合的な演習といった形で基礎的な部分を固めることになる。
これだけ密度の高い講習をただで受けさせてもらえるんだから本当にありがたい限りである。
もしこれをお金を払って受講するとなったら、これだけで数十万円はかかるだろう。
決して、無駄にするわけにはいかない。
PS:ちなみに私の大学空手部時代のあだ名は「野獣」と「戸愚呂弟」でした。
2015/08/30
2015/08/28
合格後諸活動その2 凱旋
ひとまず、落ち着いてお昼ご飯を食べよう。
ずっと郵便物を待っていたので朝飯も食ってない、腹が減った。
全ての話はそれからだ。
その日のお昼ご飯は、近所の商店街にあるインドカレー屋さんで食べたのを覚えている。
そのカレー屋さんは創業以来(2,3年ほど)の行き着けで、私の場合席に座わると顔馴染みの店員がやってきて「マトン(羊肉)ですね」と一言告げてさっさと戻ってしまう。
私もそれでいいので「うん」とだけ返事をすると、注文が確定してしまう。
これで出てくるのは「マトン(激辛)、ナン、ラッシー」のセットメニューだ(950円)。
ちなみにマトンカレーしかない、わけではない。
「あ、今日は普通で」
と、その日は店員に一言だけ付け加える。
これは、辛さの指定だ。
ナンは、いつものように4分割して出してくれた。
インドカレーの場合、通常ナンは切ったりせずにそのまま出す。
切られたものの方が食べやすかったのでそれを指定し続けていたら、分割ナンを店員さんが覚えてくれたのだ。
それまでは辛い食べ物になるべく慣れておこうと、この店で食べるときはカレーの辛さを「激辛」にしていたのだ。
この店の最高級の辛さということもあって、毎回汗だくになりながら食べていた。
しかし、もうそんな必要はなくなってしまった。
第一希望の、食べ物が辛い国であるブータンへ行くことは無くなったのだから。
勝利の味、しかし敗北の味をかみ締めながら、ここで食べる最後になるかもしれないマトンカレーを味わう。
店を出てから改めて看板を見る。
そういえば、なぜ店の名前が「ひまわり」なのか、いつか聞こうと思っていたのだが結局聞かずじまいになってしまった。
家に帰ると、早速封筒の中の書類一式を改める。
色々とやらなきゃならないことがまた山ほどあるようだ。
その日のうちにできるのは、
B型肝炎の検査結果は翌週に出るということだ、早めに受診しておいて良かった。
なお、検査結果は他の書類とともに、郵送でJICAへ送らなければならない。
送付しなければならない書類の中でも最も重要なものが「派遣承諾書」である。
これに「派遣国へ行きます」と明記して期限までに送付しなければ、派遣は辞退ということになってしまう。
他にも、9月中にある技術補完研修の参加承諾やその他諸々、急に色々と忙しくなる。
部屋の退去の準備も少しずつ始めなければならない。
ただそれはさておいて、ひとまずやることが終わると書類一式をまとめてバッグへ突っ込み、家を出ることにする。
メールで一番に報告はしたのだが、やはり口頭で直接勝利報告をしたい。
これから暫く厄介になる、両親のもとへ帰ることにした。
ずっと郵便物を待っていたので朝飯も食ってない、腹が減った。
全ての話はそれからだ。
その日のお昼ご飯は、近所の商店街にあるインドカレー屋さんで食べたのを覚えている。
そのカレー屋さんは創業以来(2,3年ほど)の行き着けで、私の場合席に座わると顔馴染みの店員がやってきて「マトン(羊肉)ですね」と一言告げてさっさと戻ってしまう。
私もそれでいいので「うん」とだけ返事をすると、注文が確定してしまう。
これで出てくるのは「マトン(激辛)、ナン、ラッシー」のセットメニューだ(950円)。
ちなみにマトンカレーしかない、わけではない。
「あ、今日は普通で」
と、その日は店員に一言だけ付け加える。
これは、辛さの指定だ。
ナンは、いつものように4分割して出してくれた。
インドカレーの場合、通常ナンは切ったりせずにそのまま出す。
切られたものの方が食べやすかったのでそれを指定し続けていたら、分割ナンを店員さんが覚えてくれたのだ。
それまでは辛い食べ物になるべく慣れておこうと、この店で食べるときはカレーの辛さを「激辛」にしていたのだ。
この店の最高級の辛さということもあって、毎回汗だくになりながら食べていた。
しかし、もうそんな必要はなくなってしまった。
第一希望の、食べ物が辛い国であるブータンへ行くことは無くなったのだから。
勝利の味、しかし敗北の味をかみ締めながら、ここで食べる最後になるかもしれないマトンカレーを味わう。
店を出てから改めて看板を見る。
そういえば、なぜ店の名前が「ひまわり」なのか、いつか聞こうと思っていたのだが結局聞かずじまいになってしまった。
家に帰ると、早速封筒の中の書類一式を改める。
色々とやらなきゃならないことがまた山ほどあるようだ。
その日のうちにできるのは、
- B型肝炎の抗体検査
- 部屋退去の申し込み
B型肝炎の検査結果は翌週に出るということだ、早めに受診しておいて良かった。
なお、検査結果は他の書類とともに、郵送でJICAへ送らなければならない。
送付しなければならない書類の中でも最も重要なものが「派遣承諾書」である。
これに「派遣国へ行きます」と明記して期限までに送付しなければ、派遣は辞退ということになってしまう。
他にも、9月中にある技術補完研修の参加承諾やその他諸々、急に色々と忙しくなる。
部屋の退去の準備も少しずつ始めなければならない。
ただそれはさておいて、ひとまずやることが終わると書類一式をまとめてバッグへ突っ込み、家を出ることにする。
メールで一番に報告はしたのだが、やはり口頭で直接勝利報告をしたい。
これから暫く厄介になる、両親のもとへ帰ることにした。
合格後諸活動その1 決意
合格通知が届いたのは、翌日だった。
恐らくは山のように書類が送られてくるはずなので、A4サイズの封筒を使用してくるはず。
私の自宅はA4サイズの入る郵便受けが存在しないので、ある一定以上のサイズになると郵便物も手渡しとなる。
12時くらいだろうか、呼び鈴がピンポーンとなり、半分眠りかけていた頭が瞬時に現実に戻される。
きた、合格通知!
待ちにわびた、これまでの集大成が実る日!!!
勢いよくドアを開く!!!
満を持して現れるNHKの勧誘!!!
ドガァァン!!!!(ドアを閉じる音)
どれほど自分が凄まじい剣幕だったのかは分からないが、いつもならドアの外から諦めずに声をかけてくる勧誘もその日は何も追撃をしてこなかった。
その数十分後、再度呼び鈴が鳴らされる。
今度は郵便屋さんだった。
A4サイズの分厚い封筒を受け取り、ドキドキしながら封をカッターで慎重に開く。
第一希望はブータン
第二希望はキリバス
そこに書いてあった国名は、「キリバス」だった。
瞬間的に頭をよぎったのは、私を押しのけてブータンに行くことになった人間がいるかもしれないという事実に対する悔しさ。
続いて、希望していた英語圏への派遣が決定したことへの安堵感。
悔しさ8割、安心2割といったところだろうか。
実のところ、気持ちはかなりブータンに行くことで傾いていた。
行ってから何をしようということに関しても、かなり色々と考察を巡らせていたりもした。
ちなみにその全ては、キリバスでは実現不可能なことばかりだ。
私がそれまで思い描いていた夢物語は、まさにただの夢物語に終わってしまったのである。
しかし、そこで私は考える。
いや、待てよ。
キリバスと言えば太平洋のど真ん中。
ほぼ赤道直下で台風も来ない、常夏の楽園だ。
汗をかいたり暑いのが好きな私にとってはこれ以上の好条件は無いと言える。
雨は年中多いようだがそれくらいならどうと言うことはない。
それに、何をするかはこれから考えていけば良い。
任務に関しても医療に携われるという大変名誉なものだ。
もとより、希望していた任地であれば断る道理は無い。
せっかく勝ち取った英語圏への権利、当然有効活用させてもらおう。
なお、ここにいたるまで封筒を開いてから約30秒。
超短時間の心の葛藤の末、私はキリバスへ行くことを決意した。
恐らくは山のように書類が送られてくるはずなので、A4サイズの封筒を使用してくるはず。
私の自宅はA4サイズの入る郵便受けが存在しないので、ある一定以上のサイズになると郵便物も手渡しとなる。
12時くらいだろうか、呼び鈴がピンポーンとなり、半分眠りかけていた頭が瞬時に現実に戻される。
きた、合格通知!
待ちにわびた、これまでの集大成が実る日!!!
勢いよくドアを開く!!!
満を持して現れるNHKの勧誘!!!
ドガァァン!!!!(ドアを閉じる音)
どれほど自分が凄まじい剣幕だったのかは分からないが、いつもならドアの外から諦めずに声をかけてくる勧誘もその日は何も追撃をしてこなかった。
その数十分後、再度呼び鈴が鳴らされる。
今度は郵便屋さんだった。
A4サイズの分厚い封筒を受け取り、ドキドキしながら封をカッターで慎重に開く。
第一希望はブータン
第二希望はキリバス
そこに書いてあった国名は、「キリバス」だった。
瞬間的に頭をよぎったのは、私を押しのけてブータンに行くことになった人間がいるかもしれないという事実に対する悔しさ。
続いて、希望していた英語圏への派遣が決定したことへの安堵感。
悔しさ8割、安心2割といったところだろうか。
実のところ、気持ちはかなりブータンに行くことで傾いていた。
行ってから何をしようということに関しても、かなり色々と考察を巡らせていたりもした。
ちなみにその全ては、キリバスでは実現不可能なことばかりだ。
私がそれまで思い描いていた夢物語は、まさにただの夢物語に終わってしまったのである。
しかし、そこで私は考える。
いや、待てよ。
キリバスと言えば太平洋のど真ん中。
ほぼ赤道直下で台風も来ない、常夏の楽園だ。
汗をかいたり暑いのが好きな私にとってはこれ以上の好条件は無いと言える。
雨は年中多いようだがそれくらいならどうと言うことはない。
それに、何をするかはこれから考えていけば良い。
任務に関しても医療に携われるという大変名誉なものだ。
もとより、希望していた任地であれば断る道理は無い。
せっかく勝ち取った英語圏への権利、当然有効活用させてもらおう。
なお、ここにいたるまで封筒を開いてから約30秒。
超短時間の心の葛藤の末、私はキリバスへ行くことを決意した。
2015/08/26
Long Vacation
7月に入ると会社を辞める前の有給消化期間に入るため、長期休暇が始まることになる。
正式な退職日は7/31。
青年海外協力隊の合格発表は8/6。
それまでは職探しもする意味がない。
本当に何もすることがなくなり、半強制的に長期休暇をとることになった。
思えば青年海外協力隊の応募への実質活動期間は、3月から6月までのたったの4ヶ月間である。
まあ転職活動期間の代わりと考えれば妥当な期間ではあるだろうが。
さて、これだけの長期休暇を貰うことになったが、何をしよう。
何もしなくても問題はないのだが、その問題がないのが目下の問題である。
やることがないというのは、それだけで問題だ。
英語の勉強は5/31に最後のTOEIC IPを受けてからさっぱりとモチベーションが下がってしまった。
受かるかどうかも定かではないので、休暇に入ってもモチベーションはさっぱり上がらない。
しかたがないので、やりたいことを徹底的にやりまくることにした。
まずは運動。ダイエットも兼ねて。
これは協力隊に受かっていても落ちていても意味のあることだったので、よしやろう!という気になった。
7月1週目は徹底的に走り、自転車を漕ぎ、泳ぎまくってみた。
考えてみれば、大学を卒業してからこのかた本格的な運動というのはあまりしてこなかった。
これを機に、まずは体を鍛えなおしてみようと思ったのである。
全部で2,000kcal以上は消費するような運動を7日間続け、最終的にトライアスロンのハーフディスタンスを走破する。
だが残念ながら体重はほとんど落ちていなかった。なんでなん!!!!!!
7月2週目は、趣味と実益を兼ねて競技プログラミングを始めることにした。
競技プログラミングとは、プログラミングの速さ、正確さを他者と競うものである。
プログラミングの知識をイチから覚えなおし、技術を鍛えなおすのにちょうど良い。
これも、協力隊に受かっていても落ちていても意味があるものだった。
3週目以降は運動もしながら競技プログラミングもする。
なんというか、これだけ長い期間休みなのも久しぶりだったのでかなり謳歌した。
そんなこんなで7月はあっという間に過ぎ、8月に入っていよいよ合格発表の日が近づいてくる。
徐々に高まる緊張感。
いくら落ちたって他にやることがあるから落ちても別に構わないとはいえ、やはり希望が通らないと言うのは気分の良いものではない。
やはり、受かっていたい。
そんな緊張のまま迎えた8/6は、割と早めに起きてしまった。
それまでも特に生活リズムは崩れてはいなかったのだが、やはり気になるものは気になる。
起きると同時にPCを立ち上げ、青年海外協力隊のページを開く。
まだ合格発表は掲載されていない。
当然だ、時刻を見ると午前6時、まだJICAスタッフさん起きてすらいないんじゃないか。
競技プログラミングの問題を気晴らしに解きながら、ひたすら時間が過ぎるのを待つ。
7時、まだ掲載されない。
しょうがないのでコンビニに朝飯を買いに行く。
8時、まだ掲載されない。
もう一問、競技プログラミングの問題を解く。
10時、まだ掲載されない。
昼食の材料を買いにスーパーへ行く。
12時、まだ掲載されない。
昼食を作り、食べる。
1時、掲載された!!!!
光の速さでリンクをクリックする。
もう騙されない、上下で昇順に並んでいるのは分かっている!!!
番号は、あった!!!
,.へ
___ ム i
「 ヒ_i〉 ゝ 〈
ト ノ iニ(()
i { ____ | ヽ
i i /__, , ‐-\ i }
| i /(●) ( ● )\ {、 λ
ト-┤. / (__人__) \ ,ノ  ̄ ,!
i ゝ、_ | ´ ̄` | ,. '´ハ ,!
. ヽ、 `` 、,__\ /" \ ヽ/
\ノ ノ ハ ̄r/:::r―--―/::7 ノ /
ヽ. ヽ::〈; . '::. :' |::/ / ,. "
`ー 、 \ヽ::. ;:::|/ r'"
/ ̄二二二二二二二二二二二二二二二二ヽ
| 答 | 合 格 │|
\_二二二二二二二二二二二二二二二二ノ
完全勝利したサトシニキUC
いや、しかし待て。
まだ任地がどこになるかが判明したわけではない。
8/6に合格通知が送達で発送されるということなので、届くのは明日だろうか。
もし、わけの分からない場所に送られることになったら辞退も辞さない。
それは以前から決めていたことだった。
わがままと言えばわがままではあるのだが、キャリアを積むという意味でも行っても意味のないところには行く気はない。
いや、むしろ行ってはならない。
実はこの点に関しては、技術面接の時にかなり強めに主張したことでもあった。
英語圏以外に送られた場合、帰ってきたときに使い物にならない人間になってしまっている可能性がある。
例えばITエンジニアの場合、技術的な内容で少しでも突っ込んだ内容を調べようとすると、得られる情報はほとんどが英語となる。
最新技術は当然アメリカに集中する。
私が英語を習得したいのは、これが理由だった。
青年海外協力隊に応募したのも半分はこれが理由だ。
ならば、英語圏以外の国には行く理由がない。
そういう理由もあってか、実はこのときはまだ手放しでは喜んではいなかった。
喜ぶわけにはいかない、どこに行くかが判明するまでは。
正式な退職日は7/31。
青年海外協力隊の合格発表は8/6。
それまでは職探しもする意味がない。
本当に何もすることがなくなり、半強制的に長期休暇をとることになった。
思えば青年海外協力隊の応募への実質活動期間は、3月から6月までのたったの4ヶ月間である。
まあ転職活動期間の代わりと考えれば妥当な期間ではあるだろうが。
さて、これだけの長期休暇を貰うことになったが、何をしよう。
何もしなくても問題はないのだが、その問題がないのが目下の問題である。
やることがないというのは、それだけで問題だ。
英語の勉強は5/31に最後のTOEIC IPを受けてからさっぱりとモチベーションが下がってしまった。
受かるかどうかも定かではないので、休暇に入ってもモチベーションはさっぱり上がらない。
しかたがないので、やりたいことを徹底的にやりまくることにした。
まずは運動。ダイエットも兼ねて。
これは協力隊に受かっていても落ちていても意味のあることだったので、よしやろう!という気になった。
7月1週目は徹底的に走り、自転車を漕ぎ、泳ぎまくってみた。
考えてみれば、大学を卒業してからこのかた本格的な運動というのはあまりしてこなかった。
これを機に、まずは体を鍛えなおしてみようと思ったのである。
全部で2,000kcal以上は消費するような運動を7日間続け、最終的にトライアスロンのハーフディスタンスを走破する。
だが残念ながら体重はほとんど落ちていなかった。なんでなん!!!!!!
7月2週目は、趣味と実益を兼ねて競技プログラミングを始めることにした。
競技プログラミングとは、プログラミングの速さ、正確さを他者と競うものである。
プログラミングの知識をイチから覚えなおし、技術を鍛えなおすのにちょうど良い。
これも、協力隊に受かっていても落ちていても意味があるものだった。
3週目以降は運動もしながら競技プログラミングもする。
なんというか、これだけ長い期間休みなのも久しぶりだったのでかなり謳歌した。
そんなこんなで7月はあっという間に過ぎ、8月に入っていよいよ合格発表の日が近づいてくる。
徐々に高まる緊張感。
いくら落ちたって他にやることがあるから落ちても別に構わないとはいえ、やはり希望が通らないと言うのは気分の良いものではない。
やはり、受かっていたい。
そんな緊張のまま迎えた8/6は、割と早めに起きてしまった。
それまでも特に生活リズムは崩れてはいなかったのだが、やはり気になるものは気になる。
起きると同時にPCを立ち上げ、青年海外協力隊のページを開く。
まだ合格発表は掲載されていない。
当然だ、時刻を見ると午前6時、まだJICAスタッフさん起きてすらいないんじゃないか。
競技プログラミングの問題を気晴らしに解きながら、ひたすら時間が過ぎるのを待つ。
7時、まだ掲載されない。
しょうがないのでコンビニに朝飯を買いに行く。
8時、まだ掲載されない。
もう一問、競技プログラミングの問題を解く。
10時、まだ掲載されない。
昼食の材料を買いにスーパーへ行く。
12時、まだ掲載されない。
昼食を作り、食べる。
1時、掲載された!!!!
光の速さでリンクをクリックする。
もう騙されない、上下で昇順に並んでいるのは分かっている!!!
番号は、あった!!!
,.へ
___ ム i
「 ヒ_i〉 ゝ 〈
ト ノ iニ(()
i { ____ | ヽ
i i /__, , ‐-\ i }
| i /(●) ( ● )\ {、 λ
ト-┤. / (__人__) \ ,ノ  ̄ ,!
i ゝ、_ | ´ ̄` | ,. '´ハ ,!
. ヽ、 `` 、,__\ /" \ ヽ/
\ノ ノ ハ ̄r/:::r―--―/::7 ノ /
ヽ. ヽ::〈; . '::. :' |::/ / ,. "
`ー 、 \ヽ::. ;:::|/ r'"
/ ̄二二二二二二二二二二二二二二二二ヽ
| 答 | 合 格 │|
\_二二二二二二二二二二二二二二二二ノ
完全勝利したサトシニキUC
いや、しかし待て。
まだ任地がどこになるかが判明したわけではない。
8/6に合格通知が送達で発送されるということなので、届くのは明日だろうか。
もし、わけの分からない場所に送られることになったら辞退も辞さない。
それは以前から決めていたことだった。
わがままと言えばわがままではあるのだが、キャリアを積むという意味でも行っても意味のないところには行く気はない。
いや、むしろ行ってはならない。
実はこの点に関しては、技術面接の時にかなり強めに主張したことでもあった。
英語圏以外に送られた場合、帰ってきたときに使い物にならない人間になってしまっている可能性がある。
例えばITエンジニアの場合、技術的な内容で少しでも突っ込んだ内容を調べようとすると、得られる情報はほとんどが英語となる。
最新技術は当然アメリカに集中する。
私が英語を習得したいのは、これが理由だった。
青年海外協力隊に応募したのも半分はこれが理由だ。
ならば、英語圏以外の国には行く理由がない。
そういう理由もあってか、実はこのときはまだ手放しでは喜んではいなかった。
喜ぶわけにはいかない、どこに行くかが判明するまでは。
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